弱者の悲哀 高野圭介 |
|
---|---|
官軍の江戸攻め | 今、大河ドラマ・篤姫が面白い。 もう終わりになってから、官軍の江戸攻めの話である。 西郷率いる官軍は江戸に入る。 西郷との話し合いのため薩摩藩邸に向かう勝に 天璋院は父・斉彬(高橋英樹)の手紙を託す。 西郷と対面した勝は江戸城明け渡しを約束した上で 徳川家の存続を願い出るが、 西郷はあくまで官軍による江戸城攻めを押し進めようとする。 しかし勝が天璋院から預かった斉彬の書状を見せると、 西郷は心を動かされ、江戸城攻撃をとりやめる。 |
西郷は太き男 | この、西郷と勝の対面が勝者と敗者の対面であった。 このとき、 西郷は勝者の奢りを見せず、胆の坐った勝は敗者の悲哀も見せず、 両者泰然と面した。 後日、勝は「西郷は太き男」と評している。 |
コーランか剣か | 強者が強引にも「コーランか剣か」と迫る時、 敢然として死が待つか、現実に生きゆくために従うか。 あるいは再生を期しての逃亡の三つしかない。 弱者の悲哀は当然強者に対してである。 と同時に、自分自身に対しても、 弱者自身の劣等感、厭世観、各種のダメージなどで鬱勃とする。 やがてその中から這い上がってくる者も出てくる。 |
自由・平等・友愛 | 1848年11月4日フランス共和国憲法の前文において 「自由」・「平等」「友愛」が共に採用された。 自由・平等・友愛・・・・・liberté-égalité-fraternité その言わんとするものは、 それぞれ「自己発展」・「安定」・「同感」である。 ところで、 自由の理念と平等の理念とは、両立し得ないと言われて久しい。 |
橋下徹知事の 競争と自由 |
今、学校で、駆けっこの1.2.3位の順位を取らないそうである。 模擬試験の順位を含めた成績発表も行わない。 橋下徹大阪府知事は 「大胆な発想と誰にも負けない行動力を存分に活かして、 大阪を元気にする、魅力あふれるまちにする、 そのための改革に全力でトライします」 と競争と自由を主張している。 |
弱者の擁護 | じゃあ、弱者の擁護者は、というよりも、弱者自身、 たとえば、派遣労働者の切り捨て。落ちこぼれ生徒はどうするか? こういった社会問題は識者の頭を悩ませている。 身近に、碁・テニス・ゴルフ・・・は生来の環境や運動神経もさることながら 同じ人でも加齢に関わる要素の強いことは明らかである。 |
弱者の環境 | 誰しも、自分の置かれた環境の中で、 強い意志を持って精一杯精進を重ねていく以外、 座していても天は自らを助けてくれない。 あるいは、努力を重ねても、一向にらちがあかないのが弱者だ。 |
碁の弱者 | 碁では置き石制で、何とか平等を期そうとしている。 更に、自由置き石制も設けるときもある。 強者の普通の発想・着手が下手には強烈に厳しく響き、 嫌らしいとさえ感じることがある。 つまり、苛められていると、受け取る。 |
友愛問題 | 自由・平等とはそんな関係ではないか。 友愛はまた、難しい。 完膚無きに叩きのめされたら友愛は保ちにくい。 かといって、 ほどほどに手を拱くのも慇懃無礼にあたってしまう虞がある。 |
弱者の悲哀 | 戦争の勝者は宣撫班を置いて、弱者である民心の懐柔を試みる。 そうでなくては勝者も勝ったことにはならない。 碁でもテニスでも、どのようなジャンルでも、 弱者の悲哀をせせら笑うのはうわ手・指導者の失格である。 さいわい碁吉会ではそう言った風潮がないと自負しているが、 やはり他山の石として、自戒すべきである。 |