「勝った負けた」と「楽しむ碁」と

・・・我々はそれぞれ囲碁観を持っており、それは侵されない・・

                                                高野圭介




今、アジア競技大会の模様が報じられている。
「まあ、何と!」というような凄まじい記事にお目にかかった。



棋譜が見られない

「週間碁」2010年12月13日号より




写真撮影は対局開始から15分間のみで、終局の様子を取材することは出来ず、
対局者も終局と共にすぐ会場を後にしなくてはいけない。

棋譜はごく一部のみに限られ、公式記録には勝ち負けの表示のみで、目数などは分からない。

中国や韓国では勝ったか負けたかが重要で、細部の情報などは問題にされないようだ。(要約)


日本の碁の世界
勝負の坩堝、日本のプロの世界でも、そこまではいかないだろう。
けれども、結構違和感を感じているようだ。

日本のアマの世界では年中碁会が催される。
いっぱんにはゲームである限り、矢張り勝ち負けが主体である。

碁吉会の碁  
わが碁吉会も碁会の連続で、結構厳しいはずなのだが、
不思議とそういった厳しい雰囲気に馴染めない。

碁の面白い中身に酔うていることが多い。

  
碁吉会恒例のペア碁で、ある日の対局。
中島美智子さんと組んだ小谷弘春さんの述懐である。

美智子さんが白の三三を四四の星と勘違いして、二二に打ち込んだ。
「仕方ないから、ずーっと付いて打ったが、参ったよ」と、小谷さんの弁である。

これを「アホクサイ」と言うか、「面白い、ワハッハ」と大笑いするか?

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碁吉会では「アホクサイ」と思う人はもう二度と来ないかも。

囲碁観発表
姫路・書写大会(2000年秋)の時である。
宴会の最中、
全員が囲碁観発表をした。

有我さんが「私は勝っても負けても良い。碁を打ってさえ居ればシアワセ!」と言った。

「へー、あなたは負けても面白いか?儂は勝たんと面白うない。やっぱり勝たにゃ」。

「勝たにゃあかん・・・などと言うたって、どちらかは負けるぞ・・」などと、延々と話が続いた。

並み居る碁友共、ヤンヤヤンヤの声援が飛んだ。


・・・我々はそれぞれ囲碁観を持っており、それは侵されない・・




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