風の桶屋風・囲碁思考パターン

                                           高野圭介

碁を考える
碁を考える。言うべくして難しいことだ。

碁は打つものであるが、何を軸にどう打つかを考えるものである。

 どう打つかの前に、碁とはどのようなものであるかを考える。

いや、その前に、碁はどのようにして出来たものかを追求しないと・・・

私はそのように碁を捉え、発生から遡って碁を考えてきた積もりである。

それら寸評の断片が、高野エッセイにはそこここに記載されている。
ただ、それが系統だって記載したたものでなく、まさに雑然とランダムに。

思考パターン


ここに、いつも碁をどの手法で考えているのだろうか?と自問した。

 弁証法・帰納法・演繹方・三段論法・類推方などなど、
考える対象によって方法とか、手法などは変わるのかも知れないが、
ひょっとして、私には私なり独特の思考パターンがありそうだと思った。




「風が吹けば桶屋が儲かる」

昔から一つ話はどう考えたのだろう。

 
 風が吹けば桶屋が儲かるの本来の意味は江戸時代桶屋が儲かった事に由来する。
当時江戸の人々はなぜ桶屋が儲かったのか噂しあった。その結論が「風」である。
しかし、直接的にこの意味を取ってはいけない。「風」とは「ありきたり」、
「当たり前」の隠喩である。つまり、どんなことが起こっても桶屋が儲かるという意味である。

風が吹けば砂埃のために目を病む人が多くなり、目を病んだせいで失明すれば音曲で
生計を立てようとするから三味線を習う人が増え、三味線の胴に張る猫の皮の需要が増える。
そのため、猫の数が減少し、猫が減れば猫が捕まえる鼠の数が増える。
鼠は桶をかじるから桶がよく売れるようになり、桶屋が儲かることから。
桶屋が儲かる因果関係をいった昔話から出たことばである。

 


なぜ、どんな事があっても桶屋が儲かったのだろうか。
これは当時の江戸時代がバブルを謳歌していたからである。
本来は繁栄を表す言葉だった「風が吹けば桶屋が儲かる」も
時代を経るに従い本来の語義を失い今に至ったのだ。

 
 ところが、「風が吹いても桶屋が儲からない」とも聞いた。
この語義は由来をたどれば分かりやすい。バブルはいつかはじける。

これは、世の摂理である。
江戸時代のバブルもはじけ桶屋も当然儲からなくなった。
江戸の人たちはこれを揶揄して「風が吹いても桶屋が儲からない」と
桶屋をおちょくったのである。

つまり、「風が吹いても桶屋が儲からない」とは何が起こっても
桶屋が儲からないという意味である。

  
 そこに、
「風が吹かなくても桶屋は儲かる」
という人が現れた。

桶屋が幸運を呼び込むほどの好人物だったのか、あるいは度胸があったか。
悪の権化・騙しのペテン師だったのか。普通ではなかっただろう。

事実に則った話のようて、実態を知りたくて聞けば、当の人はプイと横向いて行ってしまった。



囲碁解明への
アプローチ


 一つのことを捉えても、解明へのアプローチは千変万化。
たとへそれが矛盾した立場から事に当たっても、
不思議と二律背反の世界として、(両雄)並び立つのである。

千万人が異なる哲学を基板として、碁に向かうところが、
「碁に同局無し」といわれる所以であろう。