アキレスと亀

おおかた有罪が完全無罪とは古代ギリシャで興った詭弁学が罷り通ったのか。


ソクラテスの毒盃


弱者の詭弁・強者の強弁(1)

 
弱者の詭弁・強者の強弁(2)



                                                           高野圭介

詭弁家「ソフィスト」
詭弁の発展はギリシャ時代に求められる。
知者、教師、雄弁家、詭弁家「ソフィスト」が輩出した時代である。



言葉による真理の追究と詭弁術は紙一重であった。
思考実験から原子論や幾何学という科学を生んだが、まともな弁論術、
修辞学レトリックから詭弁術や論争術がもてはやされたのである。

相手を丸め込む

 当時は、思考をすすめる上で議論をしました。
議論する上で大切なのは、論理と味方です。

相手を議論でうち負かす技術(弁論)と、相手をたてて相手を良い気持ちにし
自分の味方を増やす技術(修辞)が発達した。

そんな中で、
弁論で相手をうち負かしたら、勝った方が正しいという考えが生まれた。
そういう考える人のグループをソフィストという。
ソフィストとは“知恵のある者”だそうだが、時には明らかに事実と違っていても
弁論の技術で間違ったことを真実であると主張する(詭弁)ので、詭弁学派と呼ばれた。

理屈抜きの押しの一手は「強弁」と呼び、これに対して多少とも論理や常識を踏まえて
「相手を丸め込む或いは誤魔化すのが「詭弁」である。

あてにならない「うがった見方」を振りましてもっともらしく思わせるのも詭弁である。



アテネの詭弁家
詭弁の例を挙げると、衆知の論法がある。
即ち、アテネの一人の詭弁家は、次のように話した。

「アテネの人は嘘つきです。わたしはアテネ人だ。
従って、わたしも嘘つきだ。しかしながら、
わたしが嘘つきであれば、わたしが述べることの反対は、本当でありましょう。
ゆえに
アテネの人は嘘つきではない。しかし、アテネの人が嘘つきでないなら、
わたしが言ったことは本当でしょう。
従って、アテネ人は嘘つきでしょう」

 「アキレスと亀」

「アキレスと亀」という論法。



 
 もしアキレスは、のろい亀に百メートルのところまで先に走らせるならば、
彼は決して追いつくことができない。なぜなら
、亀が百メートルの地点に離れているとき、アキレスが走り出すなら、
その距離を走っている間に、亀は少し進むでしょう。

ですから、またその距離を走る必要があります。
が、その間、動く亀は少しながら、また進むだろう。
このように考えてみますと、アキレスは近づくことはできるけれども、
追いつくことができません。


この有名な「アキレスと亀」という時間と微分問題をはじめ、
「飛矢の停止」とか、頓智の世界に遊ぶのもこれまた
数学的頭脳の鍛錬として面白いのではないか。

俺は天下国家のこと
小沢一郎の詭弁について、大勢の方々がインターネット上で論評し、
連日笑わせてもらっている。それを抜粋した形で纏めてみる。

政治資金収支報告書の処理について
「秘書任せで見ていない。大多数の議員が見ていない」
これって、小学生が言い訳に使う「誰それチャンも、誰それチャンも、
みんなやってるよ」と同じじゃないですか?



「他の議委員もやっているから、俺も・・」が裁判で通用する理屈なんでしょうか?


笑えます。

「俺は天下国家のことを考えているから」も


チャンチャラ可笑しい。

 社会正義から
矛盾に満ちた弁明を繰り返す小沢の本丸が、
公共工事のピンハネによる裏献金であることはもう特捜部が掴んでいるようだ。

しかし職務権限や時効の壁があって容易ではない。
ともあれ小沢は日本をおとしめた悪人です。

特捜部がそれでもこの捜査を続けて行くのは、
このような希代の悪党をこのまま放置出来ないという社会正義からであって、
それ以外に何もあるはずがない。

 日本無法地帯
どこでどう詭弁が罷り通ったか知らないが、
4月26日の判決では、そのおおおかた有罪・お縄一郎が無罪となった。

まるで、ギリシャ時代に逆戻りして、詭弁が罷り通ったようなのだ。
政治不信はおろか、法律不信の決定版を見るような「日本無法地帯」の真っ只中にいる。


それとも知らず、日本の法律に守られているであろうという安心感も詭弁の世界なのか。