法でさえ、公平も平等の実践は難しい

                                                               高野圭介

  

 


 裁判員裁判:公判2日目 遺族「公平な裁判を」と訴える

2009年8月4日午後も2日目の公判のこと



東京都足立区の殺人事件を巡る全国初の裁判員裁判は、
東京地裁(秋葉康弘裁判長)で、続き、裁判員が法廷で初めて質問した。

証人の被害者の長男(37)に、女性裁判員が捜査段階の調書と公判証言の食い違いについて尋ねた。

一方、長男は裁判員に「母が浮かばれない。死刑にしてほしいが、無理なら無期懲役に」と訴えた。

被害者の長男への証人尋問で、
女性裁判員は「先ほどの人物像の説明と調書の食い違いが気になるのですが、
(調書の)確認の仕方はどうだったんですか」と問い掛けた。長男は捜査段階の調書で、
被害者が「近所の人としばしばけんかしていた」と証言。
法廷では「(調書は)私の認識と違う」と述べていた。
質問に長男は「覚えてないです」と答えた。

判決は8月6日(明日)早々に下されます。



歪んだ判決?



 
さて、犯罪者・被告には基本的人権擁護の立場から、公選弁護士が付く。
しかし、被害者には薄情と思える程何もない。それかあらぬか、
法廷に、被害者席が設けられ、弁護士が付くことになったと報じられた。

これに対して一つの問題が指摘された。法廷に被害者席が設けられると、
公平な裁判に感情が入って、歪んだ判決になる懼れがあると。

公平とて、いやはや難しい。

 至公至平  
そもそも公平とは「公に平等」である、一部だけに手厚くしない、偏らないということであろう。

「この上なく公平であること」を意味する「至公至平」という言葉が存在するが、
めったに使われない。

その一方、公平の否定形である不公平に出会うことは多い。

公に平等
「公に平等」という意味の公平であるが、「平等」との違いが浮き彫りにされる。

1963年発表された『Equity Theory』の中で、
J.S.アダムズは人々が「投入に対する報酬の比」が「すべて一定であると感じること」を
「equity」(衡平 = 公平)としている。

この場合、
「参加者の交換率の平等」が「公平」の本質であるということもできる。

ここに、「平等」といえば「共産主義制度」、「公平」といえば「資本主義制度」と考える人もいる。

 法の下に平等?




人は「法の下に平等」と言われます。

我々庶民が、スピード違反して、罰金を払ったり、飲酒運転で、臭い飯を食うたり、
法に照らして処罰を受けます。

法を司る政治家
・小沢一郎、鳩山由紀夫、二階俊博とかの政治家は
いずれも金にまつわる規制法違反で、起訴されているが、
ざる法の抜け穴か、私たちには分からぬが、
滅多なことでは処罰されない。

あるいは、疑惑の金は返済したら、終わりのチョンだそうだ。

おまけに、素知らぬ顔で、党のリーダーとして、選挙の捷に当てっていて、
自分自身も平気の平左で、衆議院選挙に立候補している。

平等も公平もあったものではない。

囲碁での不公平も




囲碁でも同様のことがある。

秒読みに入った。
4.3.2.1.と秒を読んで、0.が来ても、
読み手は滅多に、0.と言えないのだそうです。

対局が巨匠とか、権威のある方であればあるほど、
そこで時間が止まってしまう。


アマの村上文は重大な棋戦の時、秒読みの最中に尿意をもよほした。

彼は悠然とトイレに行って、席について、後を打ち続けた。

対局が済んで、それ以降、
人権問題だから、トイレは時間からカットするという規則に変わった。

人呼んで、
「文ルール」と。


 1971〜2年の頃、
時計も使わない、良き(?)時代の、良き碁会でのこと・・・

糟谷邦雄というめっぽう強いアマ棋士が兵庫県アマ名人となり、君臨していた。

 神戸新聞アマ名人戦・姫路地区予選の時のこと。
 定刻対局開始となった。

独り相手が来ないので、ぶらぶらしていた人が居た。

 もう、40分も遅れてやって来たのが、当の糟谷県名人。
木下敬章・審判長
「早う打って下さい。遅いから、持ち時間隔15分で願います。」

「もう不戦勝かと思っていた」とぼやきながら当のぶら、
ぶら待ち人は
ポンポンと打って、ハイ、さようなら・・・

「こんなに待たせておいて、無茶や!
」とぼやきながら重い足をひこずって帰って行った。

何やらおかしいこの実話は、どう思われます?

 
住民パワー
 そもそも、住民パワーというものがある。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」というのが住民パワー。

法を犯したのが正しいと判断されたとき、無法が法に変わっていく。
つまり、住民のお手盛り法なのです。