法でさえ、公平も平等の実践は難しい 高野圭介 |
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歪んだ判決? |
さて、犯罪者・被告には基本的人権擁護の立場から、公選弁護士が付く。 しかし、被害者には薄情と思える程何もない。それかあらぬか、 法廷に、被害者席が設けられ、弁護士が付くことになったと報じられた。 これに対して一つの問題が指摘された。法廷に被害者席が設けられると、 公平な裁判に感情が入って、歪んだ判決になる懼れがあると。 公平とて、いやはや難しい。 |
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至公至平 | そもそも公平とは「公に平等」である、一部だけに手厚くしない、偏らないということであろう。 「この上なく公平であること」を意味する「至公至平」という言葉が存在するが、 めったに使われない。 その一方、公平の否定形である不公平に出会うことは多い。 |
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公に平等 | 「公に平等」という意味の公平であるが、「平等」との違いが浮き彫りにされる。 1963年発表された『Equity Theory』の中で、 J.S.アダムズは人々が「投入に対する報酬の比」が「すべて一定であると感じること」を 「equity」(衡平 = 公平)としている。 この場合、 「参加者の交換率の平等」が「公平」の本質であるということもできる。 ここに、「平等」といえば「共産主義制度」、「公平」といえば「資本主義制度」と考える人もいる。 |
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法の下に平等? |
人は「法の下に平等」と言われます。 我々庶民が、スピード違反して、罰金を払ったり、飲酒運転で、臭い飯を食うたり、 法に照らして処罰を受けます。 法を司る政治家・小沢一郎、鳩山由紀夫、二階俊博とかの政治家は いずれも金にまつわる規制法違反で、起訴されているが、 ざる法の抜け穴か、私たちには分からぬが、 滅多なことでは処罰されない。 あるいは、疑惑の金は返済したら、終わりのチョンだそうだ。 おまけに、素知らぬ顔で、党のリーダーとして、選挙の捷に当てっていて、 自分自身も平気の平左で、衆議院選挙に立候補している。 平等も公平もあったものではない。 |
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囲碁での不公平も |
囲碁でも同様のことがある。 秒読みに入った。 4.3.2.1.と秒を読んで、0.が来ても、 読み手は滅多に、0.と言えないのだそうです。 対局が巨匠とか、権威のある方であればあるほど、そこで時間が止まってしまう。 |
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アマの村上文は重大な棋戦の時、秒読みの最中に尿意をもよほした。 彼は悠然とトイレに行って、席について、後を打ち続けた。 対局が済んで、それ以降、 人権問題だから、トイレは時間からカットするという規則に変わった。 人呼んで、「文ルール」と。 |
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1971〜2年の頃、 時計も使わない、良き(?)時代の、良き碁会でのこと・・・ 糟谷邦雄というめっぽう強いアマ棋士が兵庫県アマ名人となり、君臨していた。 神戸新聞アマ名人戦・姫路地区予選の時のこと。 定刻対局開始となった。 独り相手が来ないので、ぶらぶらしていた人が居た。 もう、40分も遅れてやって来たのが、当の糟谷県名人。 木下敬章・審判長「早う打って下さい。遅いから、持ち時間隔15分で願います。」 「もう不戦勝かと思っていた」とぼやきながら当のぶら、 ぶら待ち人はポンポンと打って、ハイ、さようなら・・・ 「こんなに待たせておいて、無茶や!」とぼやきながら重い足をひこずって帰って行った。 何やらおかしいこの実話は、どう思われます? |
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住民パワー | そもそも、住民パワーというものがある。 「赤信号みんなで渡れば怖くない」というのが住民パワー。 法を犯したのが正しいと判断されたとき、無法が法に変わっていく。 つまり、住民のお手盛り法なのです。 |