好敵手があってこそ

                                 高野圭介


憧れが好敵手に」

錦織圭


毎金曜日、テニスに行く。
先日のテニスで。メンバーの一人、中野さんが言った。
「高野さんは良いライバルなんです。負けないよう頑張ります。」

中野さんは剣道の名手。強烈な運動神経を持っている。
私はごく普通だと思うが、サービスだけは相手に関係なく、
自分だけの責任と信じ、鋭意、研鑽している積もりだ。これを言うのだろう。



2014年3月のソニー・オープン準々決勝で、錦織圭はフェデラーに勝った。
その時「かつての憧れは好敵手に」と言った。
そして「もう絶対勝てない選手は居ない」とも。

 好敵手:多田昭円  
私は1968年、37歳の秋、多田昭円というお坊さんに出逢った。
私は3子まで何回も打ち込まれ、発憤して一冬、棋書を傍らに置いて
翌春1969年春、神戸新聞の名人戦でA級で優勝した。
因みに、多田さんはそれから二年後の1971年に兵庫県名人となった。



思えば、多田さんという良きライバルに恵まれた努力の結晶だった。
多田さんは好敵手といっても、実力は先方が相当上。
しかし、好ましい状態変化を促す存在であったことは確かである。

後日、私の子どもたち、雅永、雅晴、雅彰も師に手ほどきを受けた。

両雄並び立たず 
好敵手と目される人たちや陣営は枚挙にいとまがない。

武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いで死闘を繰り広げたり、
源氏平氏の盛衰を掛けた長年の戦いもそうだが、
巨人阪神戦、早慶戦など、野球の名勝負もある。

一般には両雄並び立たずとして、さしもの良きライバルも
終焉を迎えることも、仕方の無いことだ。


イスラム国の狙う

宿敵日本


今朝からの報道で、日本がイスラム国の狙う宿敵となったと聞いた。
宿敵とは、一般には長年ピリピリした関係にあるとはいえ、
ある意味では、それなりに良きライバルであり、格好の好敵手であるべきを、
とんでもない、敵(カタキ)として付け狙われる関係となったことだ。



国際的な政治判断など門外漢の私には論評など茶番劇かも知れないが、
何でもないところに行って、紛争相手に「頑張れ!」と数千億円の金を
差し出したら、相手は「俺にも呉れ!」とだだをこねることは必死。
そこで、否応なしに当事者となった次第。

私は国民の生命財産を守るべき政府の張本人のすることは
全く逆では無いか、と考える。勇み足以前の問題だ。


切磋琢磨の

囲碁仲間

 
学校教育で、喧嘩はしてはいけません。仲良くしなさい。と教える。
ややもすると、喧嘩と競争心が混同されて、骨抜きになってしまう。

昨今、ポニョ会という囲碁研鑽の会がある。
仲良くすることと、切磋琢磨することとが混同されてはならない。

勝った負けたを問わないと、碁にならない。
一方では、勝ち負けをはっきりさせてはいけない。

負けて碁が嫌になる人は居ないだろうなぁと思いつつ、擱筆する。