コウの兼続・コウの細川 コウの高野圭介 |
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ドラマ・天地人に囲碁が表れると、聞いた。 それは、進退窮まった戦況をコウのような転戦で打開しようとした場面だった。 コウの兼続の、トピックスを紹介する。
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コウの高野 こりゃ高野! |
「コウ」と聞いて、「コウの高野」が頭をよぎった。 中学生の頃、百人一首を取っていて、読み手の声!」 これやこの行くも帰るもわかれては 知るも知らぬも逢う坂の関 蝉丸 この出だしの これやこの・・が、こりゃ高野・・と叱られているようであったといたく懐かしみを覚える。 |
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また、数学の時間に、暖かい春の日射しに微睡んでいると、 先生が「甲の時点から乙の時点へ・・」という、甲のが、「高野!」と耳に痛く、飛び上がったことがある。 今はコウの盤上の決着は気合いと心得て、計算を超えた決断で、 少々の振り替わりなら、「コウは打ち抜く!」と決めている。 |
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コウの細川 | 「コウの細川」と異名をとる細川千仭九段は五高出身のインテリ棋士で、 「碁は断にあり」と喝破し、畏れられていたいたと聞く。 今をときめく棋士・井山裕太は孫弟子に当たる。 つまり、石井邦生九段は細川門下の筆頭棋士であるからだ。 故あって、私は先生のご指導を受け、大阪日日新聞に対局棋譜を記載してもらって、 五段の免許をいただいた。その夜、大阪の南・北を飲み歩いたのも記憶に新しい。 先生が病に倒れられたと聞いて、尼崎のご自宅にお見舞いに伺った。 先生はベットに伏しておられたが、奥様に「身体を起こせ」と言われて、 たいへんなご様子の中をきちっとご挨拶いただいたのが未だに瞼に残っている。 私には古武士の面目躍如と、先生の風格が心に刻まれている。 |