公案「隻手音声」 コンピューターの碁・天頂Uに、5本の壁が頑張った。 高野圭介 |
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三島の龍澤寺 | 「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」 とまで謳われた白隠が創案した禅の代表的な公案のひとつに 「隻手音声」(せきしゅおんじょう)がある。 龍澤寺は白隠禅師の開創になる名刹である。 後年、の般若窟・山本玄峰老師が当時廃寺寸前だった龍澤寺を 復興させたことでも知られている。 したがって、山本玄峰老師は中興の祖と言われる。 鉄舟や次郎長もここを禅修業の道場としていた。 蜜多窟・中川宋淵老師が後継者となった。 寒月や耳光らせて僧の群 中川宗淵 寺の樹々さゆぎもなく星合ひぬ 中川宗淵 その三島の龍澤寺に、私はかって1ヶ月の座禅に行ったことがある。 cf: 高野エッセイNo.26. 龍澤寺の一万円札 ::伊井国雄(2)般若窟・山本玄峰老師と間組 http://gokichikai.on.coocan.jp/essayryutakuji.htm |
白隠の公案 | 白隠禅師が修行者たちを前にしてこう言った。 「隻手声あり、その声を聞け」 (大意:両手を打ち合わせると音がする。 では片手ではどんな音がしたのか、それを報告しなさい。) 「隻手の音声」は、分別のない対立を超越した絶対的なものを現わしているのです。 それで、「隻手の音声を聞いてこい」ということは、唯一絶対的なものをとらえてこい 絶対的なものになりきってこい、ということです。 すなわち、 「隻手の音声」そのものになりきるならば、それが絶対の世界に至ったことになるのです。 禅は、常識を超越し、対立的観念ではなく、絶対的認識に立つのです。 常にそのような立場で禅をみなければなりません。 |
「隻手声有」 | 「隻手声有」という隻手は碁盤の上では、それぞれが勢力と実利であり、 両者の織りなす盤上の黒白模様は見事なたたずまいを表現する。 隻手の音声という公案は、難中の難! たとえば、厚み(壁)の絶対的認識とでもいうことだろうか。 碁はどちらかが勢力となれば、片方は地に就く。 それで長所は短所となり、結局は力相応の成果となるものだ。 その推移に於いて、厚み(模様・勢力)の絶対的な認識は 攻めに使おうとか、何もしないかでなくても、 威厳を以て無用の用を為している。 碁は一貫性が大切だが、それも時系列の問題で、碁の流れの中で、 模様の地化が行われ、あるいは、地の勢力化も示現する、、、変化も当然起きる。 |
発案・発想・妄想 |
着手の一着一着に、発案・発想・妄想を契機として石は生気を授かる。 注:発案は考え出すこと。発想は思想をあらわすこと。 妄想は根拠が無くても自分独創の確信=イメージ。 双方の立場を知ってこそ、無碍の境地を闊歩できる。 したがって、 私は今まで碁盤を前に、中から打つか、地を稼いで打つか、 これを交互に繰り返し試みてきた。 |
「模様の地化」 | 一般に「碁に勢いがある」と評されるのは、 盤上の制空権を克ち得た状態を指すことが多い。 もちろん、現今の私には「模様の地化」が打ち易い姿と映っている。 |
高野圭介 vs 先番 天頂の囲碁U長考クラス コンピューターの碁も強くなった。勝敗を超えて充分楽しめる碁友である。 なかなかどうして、発案・発想・妄想・イメージ豊かなコンピューターである。 |