喰う寝るところ棲むところ



                           高野圭介

寿限無  
寿限無寿限無 五光のすり切れ・・・
喰う寝るところ棲むところ、パイポパイポのシュウリンガン・・・

この長い名前、人間の大事なものがいっぱい詰まっている。
中でも、「喰う寝るところ棲むところ」は人生の基本だけに、突出している。

 囲碁と人生  
一方、囲碁は波瀾万丈の人生に譬えられ、人生の縮図でもある。
では、囲碁における「喰う寝るところ棲むところ」とは何であろうか?
ここに、新しい観点からこれを解明しようとする。
はてさて・・




囲碁と人生


石も石を喰うて石寿を全うする。

           


喰うところ


生きることは喰うことだ。
食の連鎖で、獰猛といわれても喰わなゃぁ・・・
喰われたらおしまいだ。

 
「生きることは食べること」・・・これ以上の真理は無い。
碁では「石が石を食い合いする」のです。
共食いのようで、共食いで無く、強者が弱者を喰うて生きる。

地は食い合いの中に創造されて、貯蔵されるという不思議がある。
いったん捨てられた石を拾っても、美味しくもないし、滋養にもならない。

取り立てのホヤホヤこそ醍醐味。

難しいのは、壁を囲うのか、攻めに使うのかは碁形による。
地を囲うのも素敵だが、第一線から立ち上がった地は大きいとしたもんだ。

 
寝るところ

 
すべてが終わったら、寝るしか無い
ゆっくり休むか、とこしえの休みに入るか。
よく働いたのだから、ごゆっくり。

 
もう、済んでしまった場所。

地が確定し、石を取り切り、もう変化の余地も無いようなところは石の休む場所。
もはや、戦いの脅威も無く、その周辺さえも敵は近づかない。

近づいても、ご馳走はでないし、却って自分が危険な身に晒されるだけだ。
ただ、布石の手止まりというのは、その辺りにある。

 
棲むところ

 
住み心地のよい条件って何だろう。
とにかく、あたたかい家庭で、心配事が無いことが一番。
他には条件の整った住居。

 
生き形を作って、もはや安住の境に入ったとは、小原庄助さんの好むところ。

もちろん、周囲敵なれば、キッチッと連絡を取るか、二眼作るか、
しっかり小金を溜め込んでおくか、そういう配慮の上のことである。

ただ、すべての石に二眼作ってしまうのは遅れるかもしれない。
連絡してしまうのは、効率のよい生き方。