囲碁と人生
石も石を喰うて石寿を全うする。
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喰うところ
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生きることは喰うことだ。
食の連鎖で、獰猛といわれても喰わなゃぁ・・・
喰われたらおしまいだ。
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「生きることは食べること」・・・これ以上の真理は無い。
碁では「石が石を食い合いする」のです。
共食いのようで、共食いで無く、強者が弱者を喰うて生きる。
地は食い合いの中に創造されて、貯蔵されるという不思議がある。
いったん捨てられた石を拾っても、美味しくもないし、滋養にもならない。
取り立てのホヤホヤこそ醍醐味。
難しいのは、壁を囲うのか、攻めに使うのかは碁形による。
地を囲うのも素敵だが、第一線から立ち上がった地は大きいとしたもんだ。
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寝るところ
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すべてが終わったら、寝るしか無い
ゆっくり休むか、とこしえの休みに入るか。
よく働いたのだから、ごゆっくり。
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もう、済んでしまった場所。
地が確定し、石を取り切り、もう変化の余地も無いようなところは石の休む場所。
もはや、戦いの脅威も無く、その周辺さえも敵は近づかない。
近づいても、ご馳走はでないし、却って自分が危険な身に晒されるだけだ。
ただ、布石の手止まりというのは、その辺りにある。
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棲むところ
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住み心地のよい条件って何だろう。
とにかく、あたたかい家庭で、心配事が無いことが一番。
他には条件の整った住居。
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生き形を作って、もはや安住の境に入ったとは、小原庄助さんの好むところ。
もちろん、周囲敵なれば、キッチッと連絡を取るか、二眼作るか、
しっかり小金を溜め込んでおくか、そういう配慮の上のことである。
ただ、すべての石に二眼作ってしまうのは遅れるかもしれない。
連絡してしまうのは、効率のよい生き方。
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