君子の争い 論語(現代に生きる生活の知恵) 孔子より 高野圭介 |
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論語 | 子曰、君子無所争。必也射乎。揖讓而升下而飲。其争也君子。 |
読み下し | 子曰わく、君子は争う所無し。必ずや射か。 揖讓して升り下り、而して飲ましむ。その争いは君子なり。 |
解釈 | 孔子が言われました。 「立派な人は決して争いごとを好まないものだが、 ただ一つの例外に、競射の儀式がある。 競射と言っても、相手は互いに挨拶を交わし、譲り合って射を行い、 買った方が負けた方に罰杯を飲ませる。 万事礼に従った争いぶりは、まったく立派な人に相応しくないかね」と。 |
貝塚茂樹の 注釈 |
スポーツは人間の心を飼い慣らすために、 規則とフェアプレーの精神を用いて、無害に変えるのです。 東洋・特に中国や日本のスポーツ、弓射や角力などはその良い例である。 これを外国の拳闘、レスリングと比べると、その差がはっきりします。 |
高野圭介の 囲碁観 |
同じオリンピック種目を考えると、私は この譬えが鵜呑みし難いと思うのだが、 少なくとも、礼に始まり礼に終わると言われる囲碁について、 君子の争いとか君子の嗜みとも言われる所以のものと知った。 逆に、 勝敗のみに憂き身をやつす囲碁は慎まねばならぬことも。 |