真っ直ぐに歩む



                                       高野圭介

真っ直ぐに足を
真っ直ぐな道を道なりに歩く。
真っ直ぐな道を歪みながら歩く。
真っ直ぐな道を真っ直ぐに歩く。

私は「真っ直ぐに」という歩き方はこのように思っていた。
それが、チト違うことに気がついた。
 
真っ直ぐな道を真っ直ぐに足を出して歩く。
これが身体を整える一つの条件であること。



手も足も平行に  
実は、その前提がある。

歩行に際しては
地面に対して、足の裏をペタンとくっつけて立つ。
しかも足の裏をいつも平行に並べておくことから始まっている。
フィニッシュは前傾姿勢から親指の付け根から指先へ。

この姿勢は泳ぐときも同じで、
頭を下げて、体重を前に掛ける。全身を真っ直ぐ伸ばして、
バックは真上に、クロールは真下に、キチッと手を上下に振る。
足も同様、左右の無い上下のバタ足が浮力を付ける。

この全身の動きは正しい腰の運動になるのだ。

ジムのマシンでも同じこと。
キチンと足を平行に並べて運動する。
そういうことに気がついた。



生きることとは
私の名前は圭介です。真ん中から左右対称同じ文字。
何でも、
裏表の無い真っ直ぐな心の人間になって欲しいと付けられたそうな。

ただ、これだけは願ってキチンとそのようになるものではない。
残念ながら、歪みたくっている。期待が大きすぎたのか?
周囲が悪かったのか?いやいや真っ直ぐだけでは生きとれなかった。
生きることとはそういうこと。きっと。

自分自身に忠実


この世の中、社会の歪みにに迎合せず、自分自身に忠実以外、
腹に嵌まる生きる手立ては無い。

とは言え、
心の真っ直ぐとは何に対して真っ直ぐか?が問題である。
美しいものに接して美しいと感じる。悪や不正なものに接したら、
反面教師として、自分の心を正そうと自分自身に鞭を打つ。

より頑固になった自分が直ぐな心を持ちつづけることは至難だが。