音痴の聴く、モーツアルト モーツアルトに耳を傾け、もう聴けなくなるときまで、恍惚となりたいものだ。 高野圭介 |
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音痴の歌 | 私は音楽に縁が遠く、というと調子が良いのですが、音痴だから、歌が覚えられない。 一説には、ほんとうの音痴というのは居ないとも聞くが。 1回聞いて自分のものにしてしまう人と、百回聞いて歌うことの出来ない人が居て、 私は後者の方である。だから、カラオケなぞは足が向かない。 |
一万人の第九 | それでは面白うないので、 一生に一曲だけ歌える歌を、と頑張ったのがベートーベンの第九であった。 お陰様で、この20年を余って、年末の舞台に立って歌ってきた。 もちろん大阪城ホールの「一万人の第九」も常連であった。 |
モーツアルトの音楽 | その昔、「アマディウス」という映画を見たことがあった。 天才アマディウス・モーツアルトの伝記映画であった。 モーツアルトの天才ぶりをつぶさに見させて貰ったものである。 そのアインシュタインは、モーツアルトの音楽を次のように評価している。 「モーツアルトの音楽はあまりにも純粋で美しく、 まるで宇宙の内面の美しさを映し出しているようです」と。 (弓場隆訳著「アインシュタインに聞いてみよう 勇気をくれる 150の言葉」より) |
モーツアルトの魅力 | モーツァルトの音楽の魅力について、一つの意見がある。 それは、いわば「あほらしさ」ということになると思う。 彼の音楽は、娯楽性が強く、「真面目さ」とか「精神性」のような要素が少ない。 だから、彼の音楽を下らないと軽蔑する人もいると思う。 しかし僕は、その「あほらしさ」が悪いことだとは思わない。 モーツァルトの音楽は気軽に聴ける。 それは、モーツァルトのサービス精神のおかげだ。それを楽しめばいいと思う。 人生は苦しいことが多い。それを明るく照らしてくれるのがモーツァルトの音楽なのだ。 だから僕はモーツァルトを聴く。もちろん飽きることはあるが、 それでもいずれモーツァルトに戻ってくるという、その繰り返しのような気がする。 実際、モーツァルトの曲は、長調の明るいものが圧倒的に多い。 |
アインシュタイン |
かって、アルベルト・アインシュタインが、「死とは何か」との質問に対して、 「死とはモーツァルトが聴けなくなることだ」 と答えたという話は有名だ。 天才物理学者アインシュタインは立派な音楽家で、親友たちとアマチュアの室内楽団をつくり、 モーツァルトの弦楽四重奏曲をこよなく愛したとされている。 アインシュタインの趣味はヴァイオリンだった……。 |
天才とは | 後世、「アインシュタインとモーツァルト、どちらが天才か」 ということについての討論がある。 今まで科学は外的世界を中心に研究してきた。 しかし、音楽とは内面世界の芸術である。 だからどちらがすごい、という話ではなく、現在、 科学も脳などの研究を通し内面世界の研究も発達してきている。 いつか科学が外的世界と内面世界のどちらも解明する時が来るだろうし その時は音楽や感情についてももっと科学的に理解できる日が来るかもしれない。 私は天才ではありません。 ただ、人より長く一つのことと付き合っていただけです。 アインシュタイン名言 |
モーツァルトの作風 | モーツァルトの作風は メロディーとハーモニーのバランスが絶妙で、歓喜に満ち、 自由闊達に繰り広げられている様は、心と解き放ち、癒しを与えてくれる感があります。 私のようなアマの音痴にとってもリズミカルで躍動する旋律は楽しい。 、モーツアルトの音楽としては、トルコ行進曲:・弦楽四重奏曲が実に楽しい。 |
モーツァルトの代表作 |
▼オペラ ▼交響曲 ▼メヌエット |
i potでモーツアルトを | そう思って、このたびアップルの i pot の愛好者となった。 いろいろクラシックをインストールして、出来るだけモーツアルトを中心に没入している。 しばらく、モーツアルトに耳を傾け、もう聴けなくなるときまで、恍惚となりたいものだ。 ただ、困ったことに、碁を打ちながら聞けば、頭の右上の部分に頭痛が生じるようになった。 一週間ぐらい中止していたら,治ったが、危ない!!危ない!! |