プロ好み・アマ好み

                                                   高野圭介


麻生太郎



小沢一郎



新年早々、政局の話題に熱が籠もる。

麻生太郎・小沢一郎・の対照的な人物の登場である。
私は今、どちらに軍配を上げようなものではりません。

ただ、言葉は政治家の命である。貧弱な言葉は資質を問われても仕方がない。
たとえば、福田康夫の名言
「あなたとは違うんです」にしてもお粗末だった。
言葉が寡黙というより貧相だったわけだ。
否、言葉の基の中身になにがしかの欠陥があったのでは。

麻生さんの蘊蓄は相当なもので、立て板に水という話し方は素晴らしい。
しかし、深い思慮がどうも。
 
小沢さんのエーオーと言葉を選ぶ時間を取る姿は、
ちょっと回転が遅くなったかなぁと思わせる。


アーウーの大平
ふと、アーウーの大平(正芳)を思い出した。

 何か惚けてるのかな?とさえ思わせる訥弁は、
当時「プロ好み」と逆の評があった。

しかし、
彼の普段の会話は流暢そのものなのである。これに又驚き!

 こうして、麻生・小沢の話し方から見て、大平から比べたら、
両者ともひょっとして「プロ好み」ではないらしい。

その道のプロ
 百才のおばあさんがいました。
介護のプロの方がこう紹介されました。

「このおばあさんは温和しくて目立ちません。
しかし、この世に居て貰わなければならない方です。
皆さま、仲良く、よろしくお願いしますね」
と。

 なんとまあ、その道のプロの、素敵な言葉でしょうか。


バラエティ番組
 バラエティ番組で、タレントや評論家が世相を斬る!ことが多い。
それがまた、世論を創っていく。

 この重要な役割を面白く、可笑しく作っている番組の多いことか。
自分でもよく分からないのに、世相に迎合して、世間の代表顔して
捏造して創るアマオピニオンはとても怖ろしいのだ。

プロの碁
 碁の世界では、
アマから見たプロの碁というのは感心することばかりである。

1.変化・・・華麗というほど変化していく。
2.辛抱・・・こんなことで間に合うのかと思わせる遅速。
3.変骨・・・片意地というのか、自分を曲げない。
4.機敏・・・手抜き、先手争いにいつも血眼。

 
碁そのものについて言えば、
 プロの碁は厚く、軽く、地が多い。模様・
地の棋風が一つの局面に矛盾がなく一貫している。

アマの碁
 これに反しているのがアマの碁

アマの碁そのものについては自由奔放に打てる特権を持っている。
ただ、棋力の問題は「知る、知らない」から来ている問題で、
非難するものは何一つない。

 碁に夢中になっている時の、言葉のやりとりも面白い。

 問題なのは、碁の面白さに惹かれて周囲に問題を投げかけたり、
のめり込んで自分自身の身体を壊すことである。
アマの高段者には比較的危険信号が増えてくる傾向がある。

勝てば官軍
 そのデンで言えば、私は大勢のプロ高段者の話を聞いたが、
誰一人として「作ったような話」は聞いたことがない。

プロの言葉は寡黙であっても、
強い人は座っているだけでも威圧を感じるという。
九段の別称は「坐照」というではないか。


 プロは勝てば官軍の世界。

いっぱんに、勝つこと!の執着のもたらす職業柄か、
賭け事にはひどくご執心のようで、
競輪・競馬・麻雀・その他、ギャンブルの世界に関心度が高いように思う。

ブチカマシの気迫
 かって、宮本直毅九段が言いました。

「私は大相撲を見に行きます。
それはあの、
ブチカマシの気迫を貰いに行くのです。」と。

流石である。