本田邦久九段の
「羚羊掛角」

                                                     高野圭介


 


 本田邦久九段と
記念対局

 

大阪の32回保健医囲碁大会で、優勝できたご褒美の副賞として、
本田邦久九段と記念対局が用意されました。

(対局は11月28日に済みましたが、棋譜は後日)

もう30年も前、先生がNHK囲碁選手権で優勝され、
記念に、宍粟の山奥・三室山に二人で登ったことがある。
その夜、千草カントリ−クラブに投宿し、先生の揮毫を戴きました。
それがこの
「羚羊掛角」の扇子です。

私は30ぶりの対局に際しまして、
扇子を持参し、「羚羊掛角」の意味を伺いました。

先生は「要は用心深く・・ということです」と言われたのです。



 


本田先生の

学友の吐露

 

 
 本田先生の学友の吐露した言葉を記します。

NHK優勝
この色紙の所有者は本田さんと小学校同級生の方のものですが、
ご存じNHKの1年間がかりの囲碁トーナメント戦で昭和59年
(第31回、武宮正樹9段を破り)本田さんが優勝し
その祝賀碁会が金沢市文化ホールで行われた、

その機会にもたれた同級会の時書いてもらったものだそうです。
書かれている言葉の意味は?とその人に聞くと、
「好きな言葉だから」しか彼は言ってないそうです。

痕跡を残さない
 私が調らべてみると
<かもしかは夜眠る時角を木の枝に掛けて、
脚をあげて寝て地上に痕跡を残さない〜という説と、

角が(湾曲を考え、ほどよく掛けて)枝に痕跡を残さない

〜との2つの異なる解説がありました。
いずれも「痕跡を残さない」が共通しています。

言動は慎重に  
 さて私が自分のための、忠告、教訓と解釈すれば、
「自分の行動を調子に乗ってぺらぺら外にしゃべってはいけないよ、
秘匿しておくべきだ、どこに敵がいるかもしれないぞ、
そのうち天敵に襲われぞ、言動は慎重に」と
昨今のことをたしなめられた思いです。

自分が切り開く
 でも、これでは本田棋士揮毫の意図ではないでしょう、そうです、
今1つの解説には「禅宗では言葉や文字を頼らず
悟りを開こうとすること」と書いてありました。

<どうして、こうなるの?ってカンジですが>これでしょう。

 本田さんは「碁打ちは言葉や文字、他人を頼らない、
自分が切り開く」と決意を示めされたのでしょう。

 プロの修業
 プロ棋士になるのは、師匠の家に住み込んで修行します、
人によっては小学校卒業を待ってない例もありますが本田さんは
石引小学校(現小立野小学校の前身)を終えての修業でした。
その6年間の同級生がよっぽど懐かしいのでしょう、
4年ごとの同級会にほとんど参加されるそうです。


 道元
「正法眼蔵」の研究

・「圜悟禅師語録」
巻19より。

盤走珠、珠走盤。
偏中正、正中偏。
羚羊掛角無蹤跡、
猟狗遶林空?蹈。


盤、珠を走り、珠、盤を走る。
偏中正あり、正中偏あり。
羚羊角を掛けて蹤跡無し。
猟狗林を遶りて空しく?蹈す」 

 羚羊の角
羚羊の角は鹿のようなものを想像していましたが、
写真のような枝分かれしない角のようです。

     

 羚羊掛角の注釈
羚羊角を掛け、跡の求めるべき無し。
羚羊(れいよう)角を掛けて蹤跡無し:


かもしかは眠る時、角を枝に掛けて跡を残さない(と言われる)。
羚羊の角を掛けるが如く、技巧が目立たないようにします。

羚羊掛角の意味は
詩文が、技巧を感じさせないほどたくみで、世俗の気風から脱していること。
[注記]「羚羊」はカモシカ。カモシカは夜ねむる時、木の枝に角を掛けて
足跡を残さないという。そのような痕跡が分からないようにする。

そのように、
捉われのない悟りの境地に達した人の言葉を理解することは難しいと。