「三星堆」の思い出 1995年の唐騰さんご一家と中国大周遊ツアー 「立人像」 青銅戴冠縦目仮面 高野圭介 |
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「三星堆」 | ある雑誌のグラビアに眼が食い込まれていきました。「三星堆」です。 早速、百も越える世界観光地各地の土産:ミニチュアから、 「三星堆」のミニチュアを探しました。三点ありました。 ところで、あの「サンシンツイ」だ。漢字では「三星堆」=「サンセイタイ」ですが、 中国読みでは「サンシンツイ」となります。 |
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グラビア「三星堆」 |
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三星堆遺跡に行ったとき、記念にと持ち帰った三点のミニチュア。いろんな思い出が詰まっている。 |
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三星堆遺跡 | チベット滞在から 成都:九寨溝の観光の後、 最近新しい遺跡が発掘されたというので、 車を飛ばしたのが三星堆遺跡であった。 長江文明に属する古代中国の遺跡の一つである。1986年に中華人民共和国四川省広漢市の 三星堆で発見された。 2005年に基本的な発掘調査を終え、 現在整理研究中である。 私が訪れたのは発見の10年足らずという ほやほやの時であった。 |
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王汝南先生 | |
チベット行きを計画して、北京を発ちました。 唐騰さんが紹介してくれた王(ワン)さん、 家内と私。三人の旅でした。 中国棋院で王汝南先生にご馳走になりましいた。 珍味「蟻の唐揚げ」が印象的でした。 王先生は 「70歳を越したら中国では行くな」となっています。 高野さんは大丈夫ですか?」と問われました。 事実、チベットのサラでは私はたちまち 高山病に罹った。 |
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唐騰さんご一家 | お母さまとお嬢様の夢子さん。 そして邱継紅プロも参加して、 夕食をにご招待された。 初めて、珍味:夏草冬虫は忘れられない。 爽やかなご一家で同席していてすがすがしい。 そのご両親はすでに故人となられた。 |
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唐 集尹 | |
唐騰さんのお父君は唐集尹さんと言い、 かって、日本の東大に籍を置いて日本通。 水利電力の高級高程師だった。 日本留学のお土産に御器セットを中国の 我が家へ持ち込んでいたのが、 唐騰さんの碁縁となっている。 唐集尹さんの墨蹟も美しい。 唐騰さんのと瓜二つ。 |
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唐 天薇 | お嬢さんは唐 天薇:テンウェイ) (日本名 夢子:愛称夢夢:モンモン)さん。 中国の一人っこ政策で兄弟は居ない。 夢子さんは中学校の日本語弁論大会で 最優秀賞に輝いた直後であった。 いつであったか、夢子さんと甥御さんと三人で 内蒙古のご親戚を訪ねて行ったことがある。 ホントにお世話になっている。 お嬢様は今、日本語と英語が自由自在。 娘時代、カナダに留学されていたが、 現在はは北京在住との由。 |
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唐騰さん家族 | |
唐騰さんの日本語は格別で、橋本宇太郎先生 の北京訪問のとき、通訳を勤めた。 奥様も日本語が達者で、北京の日本商社に 永年勤続された。もちろん大の日本贔屓。 語学のことで言うと、私が北京在住中、 日本語と中国語の交換授業をしたいという 人が現れた。 その人は私に「雪国」を読めと言った。 途端に、交換授業は中止となった。 つまり、関西弁は日本語の先生も出来ない。 こんなことってあるんだなぁ。 |