中国・扇子の語る囲碁交流



こうして、戴いた扇子を広げていると、
かれこれ40年にもなんなんとする自分の足跡がありありと甦ってくる。

                                        2015年8月5日

                                          高野圭介


聶 衛平

 


森羅万象

1978年初めて中国の土を踏んだ。当時のトップで、辺りを睥睨していた。
その後、10年を経て、敦煌へ行ったとき、「ニエ・ヴェピン」の名前は
中国の囲碁の関係の無い民間の隅々まで知れ渡っていた。

 
王 汝南

 


碁友

中国棋院には数回訪問している。その都度、夜は宴会で迎えて戴いた。
「蟻の唐揚げ」は今なお語りぐさである。

王先生には1999年、中国五段を免許して戴いた。中国はおろか、
日本ででも、先生によくお目に掛かって、先生の健在を喜んでいます。


華 以剛

 


一衣帯水

1978年、中国のプロ集団の中で、日本語の堪能なのは、
王汝南と華以剛の両先生だけだった。

いきおい会話も弾み、親しくもなり、華先生がのちに中国棋院の
理事長に就任されて、我がことのように喜んだものだ。


何 香濤


 


今日、中国との永の交流があるのは、何香濤先生のお陰である。
先生の北京師範大学にある客人用の宿泊設備によくお世話になった。

何先生のひたむきな碁への姿勢は只者では無い。
昨年の名人教授杯では、見事第一名を取られて、当然と思った次第。

記念対局  先  何 香濤  vs  白 高野圭介


孔 祥明


 
 


蘇東坡は杭州知事となって、杭州の有名な詩が多い。



孔祥明先生は日本語も達者で、宴席で日本の歌「荒城の月」を歌いました。
もちろん、当時の中国女流プロナンバーワンでした。


ご子息の孔 令文プロとのことです。
大阪で催される囲碁教育研究会に参加して、親しくお目に掛かりました。
先生は講師として、水口藤雄先生と、孔 令文日中交流特命棋士のお二人が

臨席されていて、すでに進行半ばでした。


孔 令文「中国における子供囲碁教育」
水口藤雄「こども囲碁教育の方策」が主題でありました。



陳 祖徳

 


超越自我

陳 祖徳先生は言わずと知れた中国突出のナンバー・ワン。
中国流の創始者であり、中国棋院第一期理事長である。

いつだったか「高野さん、一局打ちましょうか?」と言われて、
「次の機会に・・・」と別れたのが最後となった。


李 洪州

 


李 洪州先生
呉清源の故事を描いた「未完の対局」=「一盤没有下完的棋」の台本作家で、
囲碁随筆集・「白と黒に遊ぶ」の著者である。

記念対局 先  李 洪州  vs  白 高野圭介


朱 旭

 


朱 旭

朱 旭先生は「大地の子」の父親・陸徳志役を演じて我々には親近感があった。
北京芸術劇院の「生・活」の劇に出演されていて、観劇を楽しんだ。

記念対局  先 井上泰子 vs  白 朱 旭


陳 大均


 


陳 大均さんは上海の人で、北京大学の囲碁の雄であったようだ。
唐騰さんのごく親しい友人であったようで、とてもよくして戴いた。

陳先生発案の「ポータブル指導用大盤」は今なお、私の手元にあって、
いざという時、大いに役だっている。

ある日、突然の訃報に接し、心を痛めた。嗚呼!


唐 集尹

 


唐騰さんのお父君は唐集尹さんで、かって、日本の東大に籍を置いて日本通。
水利電力の高級高程師だった。

お母さまとお嬢様の夢子さんも参加して、夕食をにご招待された。
初めて、珍味:夏草冬虫は忘れられない。


唐 騰

 


静 思

唐騰さんは中国の兄弟だ。唐騰さんなくては私の中国はあり得ない。
30年に及ぶご厚誼は筆舌に尽くし難いものがある。

面白いことに、私と唐騰さん、そして愚息雅永とは15年ずつの年齢差である。
二人はとても気が合っているようで、私も嬉しい限りである。