天下の名勝・西湖に遊ぶ 高野圭介 |
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最初は 1978年の夏 |
西湖には過去二回訪れている。 戦後、日本と中国が囲碁の交流が始まったのは1966年であったと言われていますので、 1978年の夏の訪中は民間人としては、先鞭を切っていたと思います。 |
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芭蕉の筆 | 西湖の中国随一の名勝たる所以のものは、芭蕉の「奥の細道」に記載の一文、 「そもそも、ことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にて、およそ洞庭・西湖に恥じず。」 |
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最初は 1978年 |
訪中の最初は1978年の夏、杭州飯店に投宿した。 西湖の長い堰堤は天橋立。 三漂印月という島は松島。 カラーフルな砧や亭は宮島。 まさに日本三景がコンパクトに眺望出来る。 |
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私たちは大きな船で西湖に漕ぎ出した。 三譚印月を離れて間もなく、大きな鯉が跳ね上がったと思うと、 我々の甲板で跳ねているではないか。 私は頼山陽が天草洋に遊んだ時、詠んだ漢詩 雲耶山耶呉耶越、水天髣髴青一髪、萬里泊舟天草洋、 烟横篷窗日漸没、瞥見大魚波間跳、太白當船明似月。 「瞥見す、波間に大魚の踊るを・・・」の件を 写実しているような幻想に襲われたのだ。 |
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第2回目は 1993年 |
私は天津の棋友・史 衛忠と二人で中国漫遊中、たまたま杭州に遊んだ。 初夏の良き日、碁盤と、特産・水ダックやビールを小舟に乗せて、 晴天の下、一日、湖上対局仙人となった。 ゆーらりゆらり、盤上にも悠々の時が流れ、仙境に浸っていた。 |
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さてこの春、3回目は2010年2月佳き仲間との西湖行きは 何が待っているのだろう。夢は大きく膨らんできている。 2010年2月、上海・杭州6日間ツアー |