井山裕太名人誕生

「評判の手の落差」に実力の逆差を感じる。



                                                                  高野圭介 


ブラボー・イヤマ!イヤマコールの電話・メールが飛びかわった。
他でもない、井山名人と碁吉会の出会いというか、繋がりは、かの、因島から始まった。
今では、追っかけフアンもいるが、碁吉会には井山信者がわんさと居るのである。



碁吉会

フアンの

慶びメール

 

嬉しいですねー。井山さんの完勝ですね。
しかも結城九段が4連敗した相手に。

今朝5時のラジオニュースから繰り返し報道されました。
「去年 名人戦で負けて悔しくて、部屋に帰って泣き崩れた。
この一年その悔しさをバネにしてがんばり、勝てて素直に嬉しい」など

やりましたね!・・・大のフアン・Oka Kimiko.


私は彼の大フアンです。
宝塚での前夜祭に出席した時、
散歩に出かける彼に出会い、
親しくお話でき、握手もしてもらい、ワクワクルンルンです。


昨日も 日本棋院の大盤解説に行きましたが、
石井邦生先生も嬉しそうにご挨拶してられました。

若いのに沈着冷静、私のような凡人には聞いても判らない手というのは
それだけ、なん手も先をヨムのでしょうね。

”碁のすごさ”あらためて思いました。・・・追っかけ女性・Ito Fusae..


「井山論」 
朝日新聞(2009年10月16日金)の紙上には3ヶ所に亘って
さまざまな角度から「井山論」が展開されている。

井山が、20歳とはとても思えない
風格を感じるとはジャーナリズムの弁。

因みに、将棋の若き戦士・谷川浩司が20歳代で神戸組の旗手として世に出た頃、
私は神戸新聞社・本社でお目に掛かったことがあるが、
すでに大学教授の風格があったのを覚えている。

快禅和尚
ジェネレーション・ギャップ

快禅の大塗りを井山と張羽が見ていて、張羽は見たことがあると言った。
井山は知らないと言う。

それを並べると、井山はそのカラクリを一瞬に見抜いた

二人の感想  
対局後、感想戦の後の二人の感想。

ネット時代の旗手(申し子)・井山の弁 
「粘り強く打てたのが良かった・・・」

昨年も名人戦の挑戦者となり、3勝3敗から最終局で敗れた。
「自室に戻ってから涙が止まらなかった。悔しさをバネに1年間雌伏した。
その執念が苦しい局面でも粘り強く打った!」


現代最強の棋士・張羽の弁「(井山の手には)なるほどと思う手や、予想を上回る手が多かった。」

井山の抱負 
自分は人間的にも成長しないといけない。

(日本の囲碁は韓国・中国の後塵を拝している現状の中で) 
日本人でも世界で戦えることを示したい。

次元の違い
昨今の、日本の(一般の)プロ棋士と井山名人の感覚の差が歴然と現れたのが、
この、名人戦5局を通じて解説の中に随所に現れる。

例えば、井山の手は「これはおかしいと評判が悪かった。それが、たちまち絶賛の感動に変わっていった。」
そして、その悪評判の手が程なく勝着に近い結果を生じている。
このような怪しげな評判というプロの落差のある評価が如何に多かったことか!
井山が優れていたのか、プロという評論のええ加減さを露呈したモノか!

だいたい次元の違いはすべてを覆い隠すものだ。
例えば、
蟻や犬の視線は地面を這うているから、2次元としよう。我々は少なくとも3次元の世界は分かっている。
場合によっては時間を遡り4次元の世界も。
犬は人間の認知する世界を見る目を持っていないと、思う。


ひょっとす
ると、井山の思考能力の次元は、
普通のプロの、更に一次元上にはみ出したところの能力を持っているのでは無かろうか!
そうでなければ、説明のしようがないのである。