知恵と知識

この世のあらゆることを知る方法はあるのだろうか?


                                        高野圭介

 ファウスト
老学者:ファウスト教授はあらゆる学問を極めつくしたが、
結局「われわれは何も知ることができない」とわかり、失望する。

ゲーテ(1749~1832)の悲劇『ファウスト』より

      

万巻の書やエンサイクロペディアを丸暗記し、昨今では、コンピューターを
駆使して知り尽くしても、すべてを知ることなんぞ出来っこないであろう。

ゼミの手法
この解はただ一つ、

一つことを極限に至るまで掘り下げ探求すること。
もし、その極限に到っし得たときは、すべてのものがありありと
手に取るように見えてくるのではないか。

大学のゼミナールの学習手法を考えていたとき、
私は若い頃、このような問題提起したことがある。

 仏の智慧
私の母・智恵子は敬虔な仏教徒で、常日頃から
南無阿弥陀仏の称名を唱えると共に、以下のように言っていました。
「真宗の他力本願は仏の智慧に生かされている」と。



大阪の真宗常光寺佐々木秀彰住職
「ごえんさんの人生法話:仏の智慧に学ぶ」に、こう言っています。

お釈迦様のことを「仏陀」と言いますが、それは「覚者」つまり
「目覚めた者」「真実を見る人」という意味です。
仏教が「智恵の宗教」と言われるのは、真実に目覚めることが
仏教の目標であるからです。・・・と。

 知恵と知識
知恵と知識について、湯川秀樹科学者と谷川徹三哲学者の
対談(1968年:雑誌「潮」抜粋)があります。

         

谷川 「知識は思索しなくても得られる。しかし、
智恵は思索無しには得られない。経験を積むことも
必要ですけど、その上に思索を積むことも必要です」。

湯川 「人間が考えるということは、割合ゆっくりした活動で、
瞬間的にハッと分かる、という場合もあるかも知れないけれど、
それもゆっくり考えている中で現れてくるのですから・・・」。