時に之を習う 高野圭介 |
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碁吉会 | 過日、中田良知先生に「碁吉会って、どんな会?」と、 伺ったことがある。 「そうですね。朋あり遠方より来たる・・そんな会ですね。」 主催者の自分には実感として湧いてこない話だった。 |
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景徳鎮 | 中国は景徳鎮での中外名士教授杯囲碁大会で、突然挨拶の指名があった。 私はふと、 遠方からはるばるやってきた日本人がすでに老朋友となっている 皆さまと同席する懐かしさがこみ上げてくるのをひしひし感じたので 親愛の言葉として「朋あり遠方より来たる」と、冒頭に申し上げた次第。 |
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人の理解 | 人に理解して貰うということ。 だいたい自分をよく理解してくれている人はそう多くないだろうが、 自分を解ってくれる人は、自分も大好きだ。 OK understand ! もし、分かって貰えない時も、いつかは分かって貰えると確信して、独自の道を進む。 |
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時 習 | 論語読みの論語知らずというのか、 時習の意義ですが、「時に之を習う」のは、時折では無く、 ちょうど良い時にの意味で、タイミング良く使おうと言うことらしい。 昨今、加齢の悲しさは物忘れに表れる。タイミング良く忘れて、出てこない。 そこまで来ているのに現れない。時不習である。 ともあれ、万物即師と、常に会う人、去る人との一期一会の日々である。 今の自分には、時習の時は単なる good timing ではない。 常なる時 every timing も時習である。 |