中国流に嵌まり込んで


 中国流の起源について、いろんな説が飛び交うています。中国発とか、
日本では古来から打たれていたとか、日本発の逆輸入とか、諸説紛々です。

                                                 高野圭介

林 海峰 説


 林海峰は「システム布石・中国流」
の中で、こう言っています。

 アマ長老の故安永一の草案で、
緑星会ではっすでに、昭和30年の半ば頃、すでに打たれていました。

たまたま中国から研究のために来日していた中国の棋士が
それを中国へ持ち帰って、中国碁会で研究されたもので、
それを日本の棋士・故島村俊広九段の手によって里帰りしたという訳だ。と。

 現実に、日本では1969年(昭和44年)に島村九段の中国流が
最初のお目見えであったと記憶されています。

呉 清源 説


呉清源は「21世紀の打ち方」の中で、こう言っています。

 黒1.3.5.はいわゆる「中国流」の構えですが、日本で昔からあった布石です。

 かって、中国から来た選手が申し合わしたようにこの型を打ったので、
マスコミが「中国流」と命名しました。
黒5の高いのを高中国流と言いますが、一長一短です。

陳 祖徳 説
   
                            2003年3月13日 陳祖徳・自筆署名入り

さて、中国で、陳祖徳が自分が創設した「中国流」の述懐が、
「陳祖徳自伝」陳祖徳著 1992年刊行 p.147〜151.に記載されている。 

 
タスキ星という布石は勝れた点と威力を持っているというだけでなく、
自分の棋風にも合っていたので、長年の間、私の主な布石となってきた。
 私は自分の力を大きく伸ばすのに役立つ布石を考え出そうと決心した。
それは積極的に主導権を握り、俗に流れない布石でなければならない。

 私はとうとう夢に求め、幻に訪ねた理想の布石を見付けた。
 こうして、1963年に(高野の推測時期)中国流は生まれた。
 相手が自分のタスキ星を妨げたら、そこで、中国流を打つのである。
 私は「中国流」の三文字を見るたびに、懐かしく、誇らしく感じている。

                                 陳祖徳 述懐抄

中国流創立の歴史
 こうして、林海峰説、呉清源説、陳祖徳説と並べると、
立場によって中国流創立の歴史は少しずつ異なっているように見える。

 しかし、陳祖徳の体験的創立過程からして最も具体に富み、信頼感があるようだ。





 白布石構想の勝利

低中国流を打ち砕く・・・・・鉄のゴールキーパー

白 ジョウ・衛平  vs  先 岩田達明
                黒5目コミ出し

1976年4月17日 於 名古屋

87手以下略 白2目勝ち

白28が全局の要点で、黒19で、28トビが正着であったか  ジョウ・衛平評




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羽根流 高中国流
 ともあれ、高中国流を駆使して王座を克ち得た羽根泰正の
信念的実戦に嵌まり込んだ私は、
良しも悪しきも、もう逃避出来ないところに居ます。

そしてその現実を愛おしく思います。


ただ、私が一つ勘違いしていたのは、
黒1.3.5.の後に、もう一つの辺へのヒラキまで含むものと、私はずーっと思っていました。

これは羽根王座の特別の感性であったのをそのまま踏襲しようとしていたのです。

 それが、三連星のように、1.3.5の布陣で、本来は一つの中国流の完成と知りました




果敢な戦いに明け暮れ、屍を乗り越える


白 藤沢秀行名誉棋聖 vs 羽根泰正王座
                   黒5.5目コミ出し

第24回 早碁選手権戦

123手以下略 黒10目半勝ち

攻めるも捨てるも自在の高中国流の成果でs。



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