「わび」「さび」の碁

                                                            高野圭介


「わび」「さび」は日本人の心である。
「わび」も「さび」も日本の伝統的芸術における最高の美意識だ。

侘び   閑寂で質素な落ち着いた趣。
寂び      枯れた味わいのある趣。

わび:飾りやおごりを捨て、簡素・質素・枯淡な味わいを求める事。
さび:物静かで、古びたような趣。

その元を辿れば、茶道・俳諧に辿るようだ。

俳諧と茶道 
「わび」は千利休(茶道)が究極の美的感性としてめざしたもので、
華美さや虚飾をさけたそこはかとない静寂さが漂った落ち着いた状態のこと。

「さび」は俳人の松尾芭蕉が求めつづけたといわれている。
明快さと物寂しさを伴った洗練された感性のことだ。
そうえいば、有名な芭蕉の句の「古池や〜」というのにも物寂しさと明快さが感じられる。

「わびさび」は
それが単なる質素、物静か、閑寂 etc.ではなくて、
「華やぎ」「艶やか」「潔さ」が裏打ちされていて、「イキを感じる。」

 碁の「わび・さび」
碁の世界で言えば、いわば「コク」「アジ」etc.で、手筋で言うと、
「ウッテガエ」「石の下」そして「耳赤の手」。
反対に、忌避されるのは「やたらアテ」「アジ消しのノゾキ」など。

碁に「わび・さび」を味わう機会は誰にでも訪れる。
端的に言うと打ちたいところを「打たない」ということ。
これが、アマチュアの最大の欠点でもある。
つまり、アジを残しての「打ち惜しみ」「辛抱」である。

 「アタリアタリ」  
その逆が、
悲しいアマのアマの性、打ち過ぎて、決め過ぎて、アジも何もない状態を作る、
典型はアタリで、「アタリアタリのへぼ碁かな」と揶揄される。


将棋なら打ち切って、切れ筋に入ってしまうと、それで終わり。

 「いぶし銀」島村俊宏  
「いぶし銀」と言われる棋士・島村俊宏九段がいる。

「いぶし銀」の棋士 (囲碁) 棋士。三重県出身、日本棋院所属、九段、
鈴木為次郎名誉九段門下。利博から、俊宏、俊広、俊廣と改名。
王座戦、天元戦優勝、本因坊挑戦2回など、長く中部地方 中部碁界の重鎮として活躍した。

渋い辛抱のいい棋風で「いぶし銀」と呼ばれ、また
「忍の棋道」を自任した。

「辛抱」の三宅金司 
 「辛抱」で開眼したと言われるもう一人の棋士・三宅金司二段
囲碁上達法として4つを提示したい。

@姿勢   碁を打つ時の態度と打ち碁の形がよい。

A碁らしさ  石並べから脱却して、
碁品ある碁を創作すること。
(cf: 囲碁九品・・・最下欄

Bヨミの力  ヨミの深浅の差で、勝負が決まります。

C碁は辛抱なり   碁を打つ時の心構えとして「辛抱」が大切です。
      
「辛抱」で私が開眼出来たと思います。

茶(禅)碁一味 
三宅先生は碁の哲学として、「姿勢」「碁品」「ヨミ」「辛抱」と
碁の深奥に触れて、茶(禅)碁一味とでも言うべきと思う。

碁における「わび」「さび」の世界・「含みを持たせる」に
しっかりとスタンスを置いておられたと思う。

言うべくして、「辛抱」を旗印として碁に向かうのは難しい。
果たして、碁のわびさびの世界に実感として触れられるだろうか?

私はいま、「辛抱・忍・含みなど」の奥義を前にして、静かに自戒している。

囲碁九品とは
cf; 「碁品ある碁」とは、碁に九品(クボン)あり

1.守拙。2.若愚。3.闘力。4.小巧。5.用智。6.通幽。7.具体。8.坐照。9.入神。で、
この、1〜9の段は強さもさることながら、碁の品格を問うと、されている。

恰も相撲界で、横綱の品格を問うの同義である。