碁の弱い組と強い組

3段と4段の間を考える

                                                  高野圭介



「私が碁キチ」

天才宇太郎総帥

 



 碁吉会創立5周年の記念出版として「すざら碁仙」を刊行しました。
そのとき橋本宇太郎総帥を赤穂の貴和莊にご来臨を戴いたことがある。

 当時、宴会では囲碁観発表会を催していました。

俎上に載った話題とは、
「どのくらいの棋力の人が最も強烈に碁の面白さを感じるだろうか?」でした。
このような井戸端会議はどなたも経験があると思います。
当日も喧々囂々話がでた。 曰く、5.6級。2.3段。5.6段と。

その時、天才宇太郎総帥の発言が「皆さまはすこぶる付きの碁キチです。
でも、
私が一番碁キチだと思っています。」と発言があって、皆はシーンとなった。

 「闘力」の真っ只中
 当日の結論は「2.3段クラス」となった記憶がある。3段といえば「闘力」の真っ只中。
めっぽう力が強くて、実力派。下からは怖いオジサマ的存在だ。

 理由は、先の見えない石の取りあいで、「言うなよ」と見物人に言いながら、
石取り三昧に没入している姿は囲碁仙人の境地にあると思われる。
棋力がその前後ではこういった姿は見られない、というものだった。


 とはいえ、碁はどんなに強くても、どんなに弱くても、誰もが存分に面白いと、
楽しめる。そういう付則が付いていた。

 囲碁九品
碁の強さは今では「段」で表しますが、古来「囲碁九品」と分類していました。

初段から九段までを、次のように呼称されてきました。

「1.守拙。2.若愚。3.闘力。4.小巧。5.用智。6.通幽。7.具体。8.坐照。9.入神」

cf:高野エッセイ 206 「わび・さび」の碁  「辛抱」を旗印とした碁のわびさびの世界



cf:碁吉の文芸作品   論調    アホの部屋    囲碁九品:守拙と若愚

 因みに、囲碁九品は1〜9の段は強さもさることながら、碁の品格を問うているのです。
つまり、強かったさえ良いのではなくて、
「碁品ある碁」の格調の高さを言います。

 強い組と弱い組
 ところで、アマの碁は一口に段と言っても千差万別。
実は強い組と弱い組の二つに大別するぐらいがちょうど良いという説がある。
その境目、弱い組の旗頭が3段。強い組のしんがりが4段。

そのくらいとご理解下さい。

 闘力から小巧へ
 闘力からの脱却。それは組の上級変更。自分の囲碁哲学を「厚い碁」とし、
理路整然とした石運びに任せ、敵を侮らず、じっくりヨンで打つ。

上級変更は隗より始めよ
棋理に則った戦略を考えて、闘力から小巧へアウフヘーベンする。


むさぼるべからず

福沢諭吉


闘力から脱皮するのに適切な良い言葉があります。



「むさぼるべからず。むやみに欲張りて人のものを欲しがるべからず」

「日々の教え」福沢諭吉著より