有言実行と不言不実行

                                              高野圭介

音もなく車が来る
オッと危ない!後ろから音もなく車が来ていた。



歩いていたら、ぜんぜん分からない。
エンジンの大きな音、タイヤの軋む音、気配もさせない。
それが省エネの電気自動車。

今は、車の速度が15qとか、20qになったら、
音とか、何とかで外部に知らせる工夫が研究されているとか。

騒音の街から静かな街へという願望に逆行するようなことだから、妙である。
 
空港再開  
似たようなことが。



大阪空港は市街の騒音のため一旦閉鎖になった。
いつしかそれが再開となって今は稼働している。

それが、広域交通整備のために、再度閉鎖の気運が起きるや、存続運動が起きる。
騒音から静寂へ、また騒音へ。あら、うとましや。

無音と有音のこと。
昔から「音の頼りに聞いた」ってことは、音は声なき声で、ハッキリしない声かな。

音がないとは連絡が無く、消息不明で、
のこと。

有言実行
菅政権が自分で「有言実行内閣」と言っている。

昔は「人は知らせむべからず。よらしむべし。」であった。
今は「知らしむべし。議論すべし。」

だから、「有言実行」は「有言にして、
民意の批判に耐えられるパフォーマンスを」と健気な行き方しかない。



反対に、
「不言実行」は「黙々とやって、仕上げをご覧じ」というもので、
素晴らしいことの代名詞でもあった。
でも、やり損なったら「不言不実行」になってしまって、もう破滅だ。

不言不実行
一方、「有言実行」は士気を鼓舞するためのはったりから始まるという説もある。

例えば、
「こうします」と言って、1年も経てば、外部要因・内部要因で、出来ないことが山積する。



それが当然で、
本来「こうします」は約束の如く見えて、実は「こうしたい」という願望なのだから。

つまり、完璧に出来ないことは初めから分かっているのだから、
政治家のように、
「かくかくしかじかのために、遂に出来なかった」と、爽やかに説明し、
うまく丸め込む防護能力こそが問われるわけさ。

ただし、丸め込まれ、諦めさせられるのは民意本体の我々なのだが。