活きるも死ぬも眼一つ

ーー 一眼二足と一眼二地と心眼と ーー

                                                高野圭介



「老いること、死ぬこと」について、
瀬戸内寂聴のお話しです。

私、このたび眼の手術を受けました。
太陽の光が眼に悪いのだそうです。

「どづしてこんなになったのですか?」と、医者に聞いたら、
「あなたが長生きしすぎたからです」って。

(文藝春秋2007年9月号より)


眼が痒い。一眼二足と言われる大事な眼がたいへん!

医者へ行った。
アレルギーがあって、老眼、白内障はそこそこ進んでいる。パソコンの疲れ眼もある。
聞くほどに、年相応の使い古しさと、思えてきた。

視力はもう余り変わらないと思われるので、しかるべき眼鏡を掛けたらどうか?とも言われた。
しかし、眼鏡は掛けるより、置き忘れの方が先のようにも思えてきた。
でも、目薬は真面目に差している。





僅かピン球ぐらいの大きさの眼球の中で、いろんなことが起きているものだが、
疲れ眼ぐらい、と侮るなかれ!

血圧のせいもあったのでしょうが、眼底疲労で、眼底出血することもある。
脳の露出したところは眼底だけと聞いていたので、
知人が出血の憂き目に遭ったと聞いて、びっくりしたが、

良くしたもので、
出血した血が新たな血管のルートをつくって吸収され、快復してゆくようだ。

案ずるより産むが易し。

 
昔、おばあちゃんと子どもの会話が蘇ってきた。

「おばあちゃん、何で、目をつむってるんや?」
「眼が疲れんように、静かに安ませてるのよ」
「命が先か、眼が先か? なあ、おばあちゃん」


 
そう言えば、碁では一眼二地だね。
そう。地より眼が先。

でも変だよね、
眼の広がりが地になるなんて。地を狭くしても眼になるとは限らないのにね。

活きるも死ぬも眼一つ。
眼の無くて何が己の打ち碁かな、とか。


心眼について

毎週土曜日、介護のお手伝いに行っている
友人の、太極拳の佐藤靖子先生の心眼は鋭い。

「特老ホームあいハート須磨」に居る皆さんは、総じて足が悪い。
これが完成期に入った日本人の一般的な姿なのでしょう。

長年、行っていると、学ぶことが多くて、生きた人から生の声が聞けて、
その人の生きざまが見えるようです。

心眼を開いて見ていると、

その人の生きざまは死にざまで、その人の生きてきたように死ぬ」
と。