鮮やかマンボ♪♪ ・・・いきいき塾「碁打ちの願い」・・・ 高野圭介 隅の定石の一つから、発生してくる変化で、 ヨセに入ってから、1線をハネたら「2の一」に受ける有名な妙手がある。 松本護主宰の「いきいき塾」で、碁を打っていたら、この妙手が打たれた。 間髪をおかず「あざやか・マンボ♪♪」と私の口から吐いて出た。 二,三の方がどれどれと、ノゾキに来て「うーん凄い」と唸り、 即興の「鮮やかマンボ」にびっくりすると同時に、 その妙手に賞賛の拍手を贈ったものだ。 ここいきいき塾には「碁打ち四つの願い」がある。 一.よい仲間と、良い環境で、時間を気にしないで、良い碁が打ちたい。 二.いっぱいの手合いで、思いっ切り、碁が打ちたい。 三.石もいきいき、打っている仲間も、いきいきとありたい。 四.囲碁文化を発展させ、できれば若い人や外国の方々とに囲碁文化を伝えたい。 私は常々、余りにも碁吉会と発想の酷似した会のテーゼに関心を持っていたが、 「四つの願い」にいよいよその感を深める。 余分だが、十数年発足当時は「碁苦道会」の名であったそうな。 この中で、時間を気にしないで、いっぱいの手合いで、という項目に、注目した。 曰く「刻を忘れて遊び呆けるのが三昧境。わが〔いきいき塾〕は時計は外してあります」と。 もう没時間の世界である。 時間・空間については古来、哲人の究極の問題であった。 私は20歳の頃から人生1万日として考えていた。 「今から30年間を1万日とすれば、1m差しの、目に見える1oは10日間に当たる。 僅かこの1週間でほぼこの1oが消え去った。」 そう思ったとき、何かしら焦燥感に駆られていた。 やがて時間を超えて考えようという心境に至ったとき、時計の秒針、分針を外してしまった。 悠々の境地は「時間よ、ざま見やがれ!」と気分が良かったものだ。 その一万日も、とっくに過ぎ去った昨今、 碁も世知辛い時間との争いがルールに組み込まれてきた。 時間が囲碁対局の要件の一つとして浮上してきた。時間をコミで買う、というのか、 コミを出して、時間を延長して貰うルールもイン・ルールに持ち込まれて、 プロ対局にはすでに実施されている。 得体の知れぬ時間よ! たしかに、時間を超えて生きていけないし、限られた時間の中でも、悠々生きたい。 否、時間を度外視した発想が欲しい・・というとき、 玉川和正氏の「人生のセイムスケール」に接した。 曰く『建築の世界では、新しい建物を計画する際、よく知られた古今東西の建物の平面図や 立面図を同じサイズ、スケール(縮尺)で並べて空間の大きさや高さ、そしてコンセプトを 比較する「セイム スケール」というプレゼンテーションの方法がある』そうだ。 このような空間の比較からの類推であろうか、 氏は人生の時間(人の生涯)の長さで「人生のセイムスケール』をという発想をされたという。 cf:art random - 人生のセイムスケール 今日、人生の時間(人の生涯)の長さで「人生のセイムスケール』をという発想に接したとき、 何か謎を解かれたような爽やかかな気分になっていた。 一局の碁の「早打ち合い」のような焦燥感に駆られた碁など、真っ平である。 一つの挿話がある。 昔『宍粟の碁』の編集にかかっていたときのこと、 橋本宇太郎総帥に、安富町のマキさんと呼ぶ人が教えを受けた。 観衆が取り囲んで見守る中、九子の指導碁が始まった。 日頃、早打ちで慣らしたマキさんは相変わらずの早打ちである。 宇太郎先生の着手より早い。そのスピードが定まったとき、 宇太郎先生の着手が途端に早くなった。 早い、早い、マキさんより、早くなった。 もう、見る間に一局済んでしまった。 盤上は黒の死に石がごろごろしていた。 余分だが、宇太郎先生は謙虚であったが、頑固だった。 先生は弟子の宮本直毅、東野弘昭九段にも 平素から「宮本さん、東野さん」と呼ぶかと思うと、 北京で、日中対抗戦のとき、 朝、9:00対局開始を申し入れしてきたのに対し、 「日本の棋士は10:00にならないと、頭が覚めない」と、 頑として聞き入れないで、通されたのだ。 願わくばいきいき塾のように、時を気にせず、しっぽりと打ちたい。 悠々時が流れるような、否、時が止まってしまったような碁を打ちたい。 今からは 1oが1日かも知れない。もっと長いかも、短いかも・・ それはアングルの違い、Same scale が永遠の謎「刻」を解決してくれている。 |