下からのボーシ 高野圭介 |
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『遺娯の栞 − 対秤漫録』 |
今は聞かないが、「下からのボーシ」というのを読んで、 面白い発想!と、ビックリしたことがある。 それは 山崎の前野琴石という人が明治36年から一年間ばかり 浪速の泉喜一郎師を尋ねて碁の修行をした。その囲碁記録を 『遺娯の栞−対秤漫録』という日記の中に書いている。 |
「下からのボーシ」 | つまり 「下からのボーシ」は「辺の星に一間に2線に打つこと」だった。 あたかも高目の石にに小目にかかるように・・・・ かといってこの一点を鮮やかに表示する適切な術語は聞かない。 琴石翁の造語か? 誰かが作ったものなのか、 これ以上の表現は見たことがない。 |
「冠」と書いて、 「ボーシ」 |
中央方面から、その急所の一間に迫るのがボーシである。 あたかも小目の石に高目にかかるように・・・・ 昔は「冠」と書いて、「ボーシ」と呼んだ。 目的は二つ @ 自己の勢力を伸張し、相手の勢力を消す。 A 相手からの攻撃の緩和策としての「冠」。 (安永一「囲碁春秋」19376月号より) |
急所の一間 | この一間に対峙した関係の動きは隅の変化・定石に くまなく含まれており、詳説するまでもない。 中へ一間にトビ上がるのはまず好点。 一個目は「ボーシ」と言い、逃せぬ急所。 二個目でボーシにボーシすると「止めて打つ」と言う。 つまり「急所を止めて打つ」を短縮したまでのこと。 したがって「敵の急所は我が急所」と、その逆の中央へ 「足早の一間トビ」もすこぶる付き、文句なしの好点である。 |
「天孫光臨」 | 「ボーシにケイマ」が一つの形とあるが、 「一間で受ける」か「手抜き」か「突き当たる」もあるが、 いよいよ「ボーシにぴったりした手はない」ともいわれている。 あるいは 「ボーシにボーシ」が良い手になることもあって、 模様が深いときなど、ボーシが深入りすぎで、殲滅作戦には ボーシに下から受けたりは気合いとして出来ない。 だから、大模様の消し方に、天元の方から一間、一間と 一間トビで降りてきて、消す手法がある。 それを「天孫光臨」と呼んで、 貴重がられているのも面白い。 |
一間トビに悪手なし | 碁で「一間トビに悪手なし」という秀逸な格言がある。 いよいよ碁で「一間にto be」というのは碁の 最も自然な石の動き、あるべき姿(To be : sein)で、 分かりやすく例外も少なく、美しく強い一間トビは基本として 初心者から高段者まで忠実に守っていいものと思う。 |
’To be to be ten made to be’ |
「飛べ」「トベ」「TO BE」あるいは「be 動詞」と ごっちゃにした話でトリとしよう。 かって’To be to be ten made to be’ というのを日英語ともに 堪能な二世の{みっちゃん}というお嬢さんに見せたことがある。 彼女は「きっと、なんかの詩の一部で、前後があれば分かる」と言う。 真剣に考えてくれていたから今更、 「トベトベ天までトベ」だとは言えなかった。 |