白色白光


                                     高野圭介

 白紙の年賀
2004年元日の朝、太極拳の佐藤靖子老師からメールが届いた。
全くの白紙である・・・いったい何だろう・・・

最近、インターネットのメールを始めたとは聞いていたけれど。
初心者の間違いか、白紙の年賀かと、いぶかった。

ふと、あの「白紙の年賀状」を思い出した。


 白色白光のこと





もう20年にもなろうか。

元日の朝、
母の友人の歌人・稲村美智子女史が来られて、ながながと話されている。
女史が帰られた後、母の述懐である。

「えらいことをしてしもた。年賀状をうっかり白紙のまま出していたようで、
稲村さんの言われるのには、『正月早々、何か深い教えを戴いたのでしょうか?
白紙の年賀を戴いて、いろいろ考えました。

きっと、何か深い教えを戴いたに相違ない。何だろう・・・
最後にたどり着いたのが、白色白光のことでした』と言うてんやで。
えらいことしてしもた」と.

更に
「私はついうっかりして、書くのを忘れていたのに、謝っても謝りきれへん。
賢い人は言うてのことが違うなぁ。困ったことしてしもた」
としよげている。

仏説阿弥陀経 
いものである。2004年1月12日に父の33回忌・母の13回忌の法要を勤めた。

三部経が続く。仏説阿弥陀経に、母がよく話していた白色白光が読経される。

「青色青光・黄色黄光・赤色赤光・白色白光・微妙香潔・舎利佛・極楽浄土・・・」


過去現在未来へ
と永劫に 


ご住職にこの意義を訊ねたら分かるのに、推測でこう考えた。

「人は色に染まりやすい。それぞれの色に。
願わくば、仏の色に染まって、安心立命の境地に入りなさい。
そもそも生を受けて人として生まれるのは三界の中で億分の1。
その中で仏の声を聞ける人は萬分の1。さあ千載一遇のチャンスですぞ!」

あるいは又、
「それぞれが持ち味をもっているということです。
しかも過去現在未来へと永劫に持ち続けるのです。

お互い、
心して善根を積みましょう


白色黒光 




 今、白色黒光をこう考えた。

本来、白は白無垢、白妙。黒は黒星、黒幕とそれぞれ「潔白」「よろしくない」の意を
含畜しており「黒白をつける」は勝ち負け、ないし、善し悪しの決着のことになる。

「白と黒とのモノトーン。白黒は無彩色であって色ではない」とか、
「世界のありと有る色を混ぜ合わしたら灰色になる。
その灰色は一面、白と黒を混ぜて出来る色だ」とも。
「しかも白黒共に常に反対色を伴うという特色を持っている」など思いを馳せる。

 白勝ちか黒勝ち?

こんなこともあったっけ。ある日のこと、

碁の結果を知りたくて、 「白勝ちか黒勝ちか、後で教えて」と伝えたら・・
「白が勝ったら黒勝ちと言うてあげる。もし黒が勝ったら白勝ちと言うで」と言うてきた。

何気なしに聞いていた。やがて 「白勝ち」と電話がかかった。
「はて、白か黒か、どっちだろう」と眼を白黒した。
こんな話ってありますか。