「ダメ手」の提灯行列

                                高野圭介

 碁の評を聞いていると表現がおもしろい。

「まあ相場か」
「ちと乱暴かな」
「気が付かない手」
「ええ加減な分かれ」
「本手本手の忍の一字」
「この手は評判が良かった」
「場合の手だが、打たずもがな」
・・・などなど・・

 この中で「評判がいい」と「気が付かない」が特におもしろい。

 だいたい「評判がいい」とは大半の人の納得できることで、
世間でまかり通る常識的な手段を指しているように思う。

「気が付かない」には普通「ダメ手」の意味でなく、
「思いがけない良い手」で、奇抜さを暗示している。

 碁は基本的には減点法で打てる。
つまり、80点の平均点の積み重ねで、相手のミス待ちでも充分良い碁なのだが、
やり損なって、急所のミスが負けを誘発することになっている。

 恰もゴルフで「パー」をキープしておけば、大抵なら「御」の字だと言うのに似ている。

 時に「気の付かない手(常識を超えた素晴らしい)」が忽然と生じ、
この妙着が相手を別世界へ引きずり込んで、一気に勝負をつけてしまう。
名人碁所の得意芸がここにある。

 生まれ持つ野性を、人は暴れないように飼い慣らす。
司馬遼太郎は飼い慣らす装置として、
欧米人の聖書、日本人の世間を挙げている。

 つまり、碁の学習を積み重ねることによって、
野性味を取り去り、帰納法的に作成された囲碁理論を身につけたプロの囲碁師範は
世間様に通用する手法を習得されているから、
形も綺麗いし、筋も鮮やかで、力強く、寸分言うことはない。

 その何百という師範・達人の中から、
ワサビの利いた、常識を超えた、(普通では)気の付かない妙着一発で、
トップの座に躍り出るわけだ。

 ところで、アマというと「気の付かない」というのは
「プロの盲点」の素晴らしく・・気の付かない・・のと、
世間様の容認しがたいダメの・・気の付かない・・のが混在していて、
どちらかというと、「ダメ手の提灯行列」のようになっている。

 おもしろいもので碁の強弱と碁のおもしろさは別のようだ。

「どの程度の碁の強さが一番碁がおもしろいか」と、見ていたら、
「ダメ手の提灯行列」で、世間様の評判などどこ吹く風、
「言うなよ」と助言を押さえながら、相手のミスなどを待っていて、
気が付いたら石が取れていた。
それが逆転逆転というのが最高の碁、と思っていた。

 ところが、橋本宇太郎先生が碁吉会・赤穂大会にお出でになったとき
真面目な顔して言われた。
「高野さん、本当はここにいらっしゃるどなたよりも私は碁がおもしろくてね、
だから、私がいちばん碁キチなんですよ。」と。

 その中間の平々凡々鼻高得々のたぐいも結局のところ、
充二分に GORS に冒されていて、
誰もが自分がいちばんの碁キチとタカを括ってるようだ.

 さらばあれ さもあらん さもあらん。