同じ土俵で戦う


                                   高野圭介



言葉の土俵

思考の土俵


一夜、日本語の良くできる中国の碁友・唐騰さんと話したことがある。


「中国語と日本語を比べたら、中国語は簡潔に書いて、充分意味が通じますね。
単に意味だけでなくて、細かいニュアンスもそのまま伝えられる。」

「日本語は記述したら、その倍にもなるくらいスペースを取って、
長々と書くし、話しますね。」

「普通、日本人は一万字、中国人は三万字の漢字を駆使していると
言われていますが、
単位時間内で話すスピードの中身は、量的にはどのくらい違いますか?」

「翻訳の程度はともかく、よく似た量ではないですか?
たぶん、英語でも一緒じゃないかと思いますよ。」

「どうでしょうか、
表現は違っても言葉の理解度、解釈は同じくらいと思いますよ。」

「そうでしょうね。
でないと、碁を打っても、土俵の違うところで、戦いは出来ませんものね。


相撲や囲碁
2005年12月15日読売新聞・夕刊の「潮音風声」欄に、
超一流?」という題で、真継伸彦(小説家・文芸評論家)が述べている。

「日本人の体力のひ弱さは大相撲が、知力のひ弱さは囲碁が体現している」と.


 ・・・巷の声(共通の認識)声なき声・・・

大相撲国技は遠くなりにけり  よみうり寸評より

その内に草原になる土俵上   よみうり川柳より


日本人横綱が出現すれば、大相撲の人気は一気に回復してしまうだろう。

囲碁の道国技はいつかは里帰り  巷の寸評より

二文字の立ち会う一文字タイトル戦     虚 蹟


日本の囲碁が強くなって、胸を張ってものが言えかけると、
棋士の社会的基盤も向上し、盤石だろう。


ヨミの深浅
少し長くなるが、以下、続ける。

「半ば冗談であるが、ついこうも言いたくなるほど、
日本の棋士は中韓両国相手の国際棋戦に連戦連敗中である。
 ほんの十年ほど前まで、日本は両国を圧倒していた。
わずかのうちに追いつけ追い越されたのであるが、
原因は囲碁雑誌などに載る棋士たちの反省を読むと、読みの深浅にある。

 中略

平等の土俵
 あたりまえの話だが、人間の知力に大した相違のあるはずがない。
問題は努力の量であって、私は早晩日本の棋士たちが、
また中韓に追いつき追い越すものと楽観している。 
以下、超一流の項略。」

 ここに、日中韓の囲碁の強弱関係も、いわば、同じ土俵だから、
時が解決するだろう
、と言っているようだ。

囲碁の土俵   
碁でも、今たちまち同じ共通の土俵を作るとき、
地域別、業界別、男女別、年齢別、などを考慮せねばならない。

たとえば、
昭和一桁生まれ、と、年齢を制限する土俵。
ないし、全く無条件無制限でという土俵もある。