反定石の世界

                                           高野圭介

 「定石」は生きている
私は手元に鈴木為次郎著『囲碁大辞典』を置いていて
折に触れ紐解いて悩みを解消している。
 もう大丈夫!と、せっかく覚え立ての応接で安堵していたら、
「それはもう古い」と言われる。
確かに「定石」は生きているし、環境によって変わってくる。

弁証法的な理論 
毎月ご指導を受けている家田隆二先生は
定石の生い立ちから歴史的な変遷を弁証法的な理論で説明される。

しかも最新流行まで細やかに教えを受けるのだ。
その素晴らしい中身を忘れなかったら凄いのだが、そうもいかないとは情けない。

安心して着手できる

定石を知っている者同士なら、スイスイと戦って分かれる

このときはほぼ五分五分の別れが普通の筈である。
つまり、片方が10目の価値なら、こちらも10目というわけ。
確かに定石には安心して着手できるという価値がある。

大差ないわけ
面白いもので、少々損得があっても
(取られて元も子もなくなれば別だが)
片方が10目出来たら、コチトラも7.8目なんかはあるのが普通。

だからやり損なっても、一隅の出入りで、二.三目の差程度しか
生じないと言って過言でない。僅かヨセのハネ一つである。

要は大差ないわけだ。

分かり易い対応 
では逆に、定石を知らないときの分かり易い対応はというと、
石が対峙して動くとき、@ツケAハサミBウケの三つ。

@ ツケはハネてノビが最も自然。これはお互いに自然に保全される。
A ハサミには中へ一間トビ。更にもう一つ一間にトンで充分。
B ウケには二間にヒラキが無難。更に二間ヒラキで完璧。

「定石」は「常識」 
では「定石でない」のはどう言うのだろう。私の造語だが、
「反定石」「非定石」「不定石」「無定石」「定石崩れ」などなどだ。

分かりにくいとおっしゃる方は
「定石」を「常識」と置き換えて
考えたら分かり易いでしょうか。

多くの定石に「本当かな?」 
「反定石」「定石崩れ」とは定石を知った上に新しい変化に挑戦する。

つまり
多くの定石に「本当かな?」と疑問を投げかけて、
大局的な観点から好きに打つのもよい。

頼むから定石通りに打ってくれ(川柳)

「非定石」とは定石を知らないということ。

定石を知らぬやつには敵わない(川柳)

「不定石」とは定石のような顔をしていて、定石でない。

定石を知って二目弱くなり(川柳)

「無定石」は定石がないの義。

定石は覚えて忘れよ(格言)

石の関係が遠い場合 
石の関係がハサミ、ウケでもなく、ヒラキのように遠い場合、
ユルミと受け取られ、定石の変化としては表れない。
つまり、無いことになっていて、定石書には表れない。


変化における一つの定型

 
 
かと言って、変化における一つの定型を定石というならば

「布石の定石」「辺の定石」「模様の定石」
「ケシの定石」「打ち込みの定石」もあり得る。

ここでは
「定石」を「理論」に置き換えれば

分かり易いのかも知れない。


「反定石」の簡潔な方法

 

「反定石」の簡潔な方法を提示

ともあれ、すべてはその一着のために心血を注ぐのだが。

定石なるものを知らずとも、あるいは、
うろ覚えの定石なんぞ、生兵法は怪我の元と無視して、
万全体制で充分対応できるすべは
弱い石を治まり型にしておく簡潔な三手のことである。

三手を惜しげもなく投入 
例えば

小目とか目外しとか、三線の石からは、まず
「横に二間にヒラクがベストで、あるいは中へ一間にトブ」
実はこの二手だけでは頼りない。だから、なお続いて
「横に二間にヒラクか、あるいは中へ一間にトンデおく」
(星からも、三線が落ち着いて治まりやすい)

この三手を惜しげもなく投入して打っておけば
まずは万全、ということを提唱したいのだ。

ただしかし、敵がもっと近づいてきたら、
気を付けて味方を増やすんだよ。