時間を生きる

                                高野圭介

マンボウがぼけーと海に浮いて、何の運動もしないのに、
運動不足にならないで一生を元気に過ごせる。
「ワシもそうしたい」と、どくとるマンボウになった人。

氷の上をミズスマシのように、くるくる回っているだけと
言われながらも、ナノ秒を争うて頑張る人。
どんな人にも「刹那」という時間は同じように過ぎ去る。

 「その瞬間刹那刹那が一生一度」   大谷徹奘

さて、刹那とは1秒の75分の1の時間を表す単位のこと。
その刹那を繋いで、シーラカンスの世界もどこかに現存すれば、
囲碁の世界も悲喜劇が織りなされている。

かって、お城碁の時代の碁は時間無制限に近い。その間に
坊門といわず、安井・林・井上の各家元の叡知を集結した
門下生一同の対局でもあった。

碁に時間の要素が入ってきて制約がまた加わった。
それを世知辛いという勿かれ。
 今は「時間切れ」という熾烈な戦いもある。

最近公開対局の、プロの10秒碁も厳しい。でも、
この10秒で、手と形勢をよく見ているのは凄い。

日本が近隣諸国に引けを取るのは外国の持ち時間が3時間。
日本は対局にたいていの場合、その倍も掛ける。
だから国際戦に弱いか、とも言った。

 岐阜の新進気鋭・有我朋大君がプロの指導碁に時間切れで負けた。
彼は『もっと感性で打てるようになれば・・・』と言ってきた。
そりゃ、時間を掛けて読まなくても研ぎ澄ました感性で
しかるべき判断の出せる棋力を付けようよ。

 いつであったか、大学の囲碁団体戦に、
はっきりした負け碁を無茶苦茶打って時間切れで逆転した。
これを原田実大人がふんぬんやるかたなく
「情けない!あってはならないこと」と、
週間碁に嘆いておられたのを思い出す。

 もう40年も昔。兵庫県西播の神戸新聞名人戦(審判長・木下敬章五段)で
当時はまだ対局時計は一般には使用されない時代ではあったが、
時間上のトラブルがあった。巻き込まれた者こそ災難。

 エントリーしてあった優勝候補 K.K氏が対局開始後、30分も遅れて来た。
「遅いじゃないですか、始まってまっせ、早く打って下さい!」
不戦勝間近かで、控えていた小次郎アマ棋士はしぶしぶ盤に向かった。
追っかけて「もう遅いですから、早く打って」と注文が付けられた。
 そうでなくても、勝てる見込みが薄かった小次郎棋士は
早打ちでは尚更である。勝負は早々に着いた。
 「さんざん待たせて、早う打てとは何じゃ!」と
ぼそぼそ言いながら去った。哀しそうだった。

 私は一部始終を見ていて「何かおかしい?」と憤慨したものだ。

 いったい時間とは何か?
 古来から哲学とは人間のいろんなことを考えるものだった。
その中でも、殊に難しい一つの問題は
時間とはいったい何か」ということだった。

 碁も「 味良く、よく時を生きてこそ」 と盤に向かおう。