切 れ 味 高野圭介 |
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細川千人刃 碁は断にあり |
我が師・細川千人刃先生は熊本は五高卒の碩学で 「コウの細川」とも言われ、一言を持つ古武士でもあった。 「碁とは何ぞや!喧嘩である。ケンカはキリから始まる。碁は断にあり」 と喝破されたのである。 |
極楽往生 | 私は「自分の碁はいったいどんな碁なんだろう」と自問するとき、 たまにいい碁が打てて「我ながら鮮やか、うまいもんだな」と思うときが 最も幸福!とは極楽往生しそう。 |
煉獄の世界。 | それがひょんなことで「厚味がものを言う」こともあるので 「厚くていい碁だわい。さすが」と自分を煽てる。 いやはやなんとも気楽なものだ。かと言って、 稼ぎすぎて薄くなったら、危険が迫ってくる煉獄の世界。 |
地獄の八丁目 | しかし、負けるときのパターンはだいたい決まっている。 「厚く塗り込めて、さあ、どこからでも来い」と構えてみても、 敵はどこからもやってこない。 スーとはぐらかされて盤中を見渡せば、 ただ厚がっただけで、即負けという地獄の八丁目。 |
絶妙の切れ味 |
かって朋友・山野恵生氏が私の碁を評して 「切れ味の鋭い碁」と新聞碁の評者に述べられたことがある。 自分の碁は自分では分からないが 「嫌な手は打たない」ことをモットーとしているつもりだ。 もちろん、いつも「切り」は狙いの的だ。 |
「切り一本」とか「包丁が入る」とかいう絶妙の切れ味が入ったときは小気味いい。 この小気味な感触が分からないと切れ味の意味もわからないかも知れない。 普通、切れ味はさほど痛くも痒くもない。やがて、 手筋と相俟って、周りの石が蠕動を始めると、痛いのなんのって、 ほんとに首が捻じ切られそう。 |
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「切れ味」の フランス小咄 |
「切れ味」のフランス小咄を一つ。 宣教師が逮捕された。 スパイの罪で打ち首の刑を言い渡された。 奉行が言った。「汝の首を切るのは幸いにも日本一の使い手だ。 汝は何も感じないですむぞ」。 宣教師は首をさしのべて待ったが何ともない。暫くしてじれてたずねた。 「どうしたのですか、まだですか?」。 「いや、終わった」と、首切り役人は言った。「少し首を動かしてみなさい」。 宣教師がそうすると・・・・・首はストンと落ちた。 |