きさらぎの明月 高野圭介 春節も過ぎ、はや寒の満月を迎えた。 屋外が、いやに明るい。まん丸の大きな月が凛と昇っている。 放浪の歌人・尾崎放哉の句を思い出した。 こんな良い月をひとりで見て寝る 放哉 はるか眼下の海も、昼間は色とりどりの屋根もしらじらとモノクロの世界が拡がる。 「夜 思」 李白 床前明月光 疑是地上霜 挙頭望明月 低頭思故郷 ここ須磨は神戸の隅、近畿の隅。隅がスマ:須磨になったといわれているが、 月見の山の宴が須磨離宮であり、海のリゾートが須磨海岸。 電車の駅が月見山。駅から徒歩4分のところに 私の終の棲家・ライオンズ・月見山マンションがある。 毎朝早く、起き抜けの散歩は浜へ向かう。 昨夜の月は西に傾いて、いよいよ大きく真ん丸だ。 仲秋の月は澄み渡る沖天に皎々と輝くが、 如月の朝の月は昨夜の白々がのっぺらぼうの濃い黄色に変わり、 凍天に兎が餅搗く模様の黒い影がいやに薄く、真黄の真ん丸。 今年は閏年。 閏年はいつでもオリンピックとアメリカの大統領選挙だなぁ などなど、とりとめないことを思い浮かべて、歩を早める。 海面には漁り火の舟の影絵が点々と浮かぶ。 浜辺に天を仰げども星は消え失せて月光のみ。 光一点南の彼方に現る。侵入する飛行機の機灯だ。 東の地平線には低く、黒々と横たわる生駒の山。その上空は 茜に染まって、青の天空にぼかしてつながり、友禅ぼかしの彩りだ。 振り返って西の山。まだ高々と満月の黄色が見下ろしている。 東方、茜のぼかしが薄らいできた。日の出近し。 眼を南から西へ。ずーっとぼかし茜に染まってきた。 とりわけ西の空は東から西に移ったように、茜ぼかしの裾模様。 再び眼を東に回せばまたも様相一変。 高々とヨットのマストが何百と林立する遙か彼方に 海坊主の太陽がキラリとコロナの光輝を放ち始めた。 力強く ぐいぐい昇ってくる。この世の支配者の風格がある。 風の鎮まる海は鏡のように穏やかで、魚が一匹波間に躍った。 やがて、黄金のブリッジが太陽と自分を一直線に海面にかかる。 蕪村が月は東に日は西に、と詠んだ光景とまったく逆さまだが、 素晴らしい快晴に恵まれて、めったに出くわすことのない 東円陽・西満月の天空ショウのまっただ中に、 たたずんでいた。 ピーヒョロロと、鳥の鳴き声が聞こえてきた。 二羽三羽、トンビが大きな輪を描いて回っている。 一回り小さいカラスもいる。どうしたことだろう。鵯も見ない。 雀や雀によく似た可憐な小鳥も今はいない。 あれだけたくさんの鳩がいない。どこかで避難しているようだ。 そういえば何かに食いちぎられた鳩を見たことがあった。 鳶の仕業に違いない。 すーっとトンビが北の空へ飛び去った。 入れ替えに、鳩の大群が所狭しと飛翔し始めた。 松ぽっくりの焚き火に人が集まる。太極拳の音楽が流れ来る。 この須磨の浜へは 毎朝、名前も知らぬ同じ顔ぶれの人たちがやって来るのだが、 須磨の浜のペットでは犬が王様だ。 冬は暖かそうなコートを着せて貰ったり、ウンコも取って貰うが、 わざと芝生の茂みへ追いやってそこをトイレ代わりに利用しているのもいる。 中には三匹の犬を引っ張っている人もいる。何十匹という犬の品評会のようだ。 野良猫の棲み家は茂みの中だ。他のペットらしいものはあまり見かけない。 一匹の犬。生後まだ1年半くらいの真っ白の子犬。 「この子は・・・」と、その女主人が呼ぶが。 一人と一匹で、毎朝毎夕2回やってくる。聞けば24時間、ベットも一緒だそうな。 私らで、勝手に名前を「ピッコロ」と付けて、遠巻きに見ている。 お茶目で愛くるしくて、犬並以上に人の言葉を理解できて、聡明な子だ。 ある日からしばらく姿が見えない。 二週間ほどしてその子が眼帯をしてやって来た。 大きな犬とじゃれていて、前足で脳天を殴られ、片目が飛んで出たそうな。 獣医にメンコ玉を押し込んでもらったが、とうとう失明してしまったという。 しばらくは犬嫌いになっていたか、いつの間にか、 犬は犬連れ、以前のようにじゃれ合っている。 ふと、我に返れば いつしか浜には人の群れも犬の鳴き声も消え去り、 舟にも色が見え始め、波音もざわついてきた。 海の営みが蘇りつつあった。 |