囲碁道場「敲玉」

                                                    高野圭介



『宍粟の碁』
 『宍粟の碁』を刊行するに当たって、
関山利夫九段に指導碁をお願いすることになり、
本院の事務局に相談をしたとき、思いもかけぬことを聞いた。

関山利夫九段   
「よく声をかけて戴きました。内規に『本戦はもとより、
指導碁も関西棋院の事務局を通じて行う』というのがありますが、
関山利夫先生はきちっと守っておられて、いかに懇意な中でも筋を通されます」と。

 1982年7月18日に、こうしてまだ小学生のご子息、利道君、英利君
共々ご一緒に山崎へおいでいただいた。


元三河村阿曽実村長

関山家四代に亘る碁縁


奇すしき縁に結ばれ、馳せ付けられた人があった。
元三河村阿曽実村長で、元村長は「大阪で教員を始めた頃、
先生のご祖父盛利先生、ご尊父利一先生にご指導を受けていました。

それがまた、本日書物になる一局を利夫先生に教えを乞い、ご子息利道、
英利の両君にもお会いでき、関山家四代に亘る碁縁を戴きました。
何より嬉しい」と言われて、感無量のご様子だった。

 利道君の相手
利夫先生が『宍粟の碁』記載の指導碁を
阿曾実・松本明・荒木俊介・森泰宥の各氏と打っておられる間に、
私は利道君の相手をして、三子局をなんとなくこなしていた。

利夫先生は余程その碁が気になったらしく、
終始先生の視線を浴びていたのがありありと分かった。


利夫九段から
子供に碁の指導の礼


程なくして、先生からお便りを戴いた。
文中に「子供に碁の指導をありがとうございました」とある。

先生はことさら几帳面な上に、碁の指導については
格別の価値観を持っておられるのに驚いた。
私如き者が指導なんておこがましいのに、何と言うことを
言われるものか、と赤面した次第である。

「囲碁道場・敲玉」
降って、田舎に「囲碁道場」を設けた。
設立するに当たり、三木正先生
名称についてお知恵を戴いた。
先生は「近代的なのがよろしいか、何かいわくのあるような
名前がいいか、如何でしょう」と聞かれる。

私は「由緒ある名がいいのです」と言うと、
では「敲玉」をと言われて、「囲碁道場・敲玉」と命名して頂いた。

『敲玉余韻』 


因みに『座隠談叢』によると、
広島の石谷広策という人が本因坊秀策の打ち碁100局を集めて
編纂したもので、『敲玉余韻』と名付けた。
冒頭に「囲碁十訣」が記載されているので有名。
(Ten cautions about the game of Go)

 『敲玉・利一』の扇面


後日、三木先生から揮毫が一通届いた。開けてみると、
「関山利一先生の奥様にこの話をしたら
『敲玉・利一』の扇面の書がありますので差し上げましょう」と言われ、
戴いたものですと、記してあった。


「僕の趣味は?」

「喧嘩!」



2000年の関西棋院創立50周年記念のとき、
久々にかっての利道君こと
今は押しも押されぬ関山利道九段にご指導頂いた。

そのとき、当時の話をしたら覚えておられ、
若き利道少年に家内が「僕の趣味は?」と聞いたら、
少年は言下に「喧嘩!」と返ってきた、
「やんちゃな、面白い子よ」と破顔していた・・・
この話に、
利道九段がいよいよ人なつっこく、相好を崩されたかに見えた。


関山利一筆

「飛玉一声」



 

2009年秋、中山典之先生宅を訪れた。
先生の書斎に、掲げてある額

関山利一筆「飛玉一声」