「まぼろしの免状」

                                                高野圭介




高野圭介の囲碁免状

そもそも免状発行権は一つの権威である。
免状の権威についての論議はともかくも、私の免状は一つ一つ曰くがあって頂いたものだ。




木下敬章師の初段
学生時代、昭和27年頃から碁の勉強を始めて、
志智嘉九郎の紹介で、木下五段に師事。 
ほぼ1年ぐらいで、関西棋院初段免許された。


 松浦吉祥先生から
飛び付け4段

 
江口武雄先輩「ワシより強い初段はないぞ」と、
松浦吉祥先生から飛び付け4段。

 細川千仞八段の5段    
大阪のスポーツマン倶楽部で細川千仭八段から
唯一日本棋院の免状の5段。

 宮本直毅九段から6段。
 宮本直毅九段から6段。

 橋本昌二九段から7段 
 関西棋院普及功労賞第一号を贈られた記念にと、
橋本昌二九段から7段。

 王汝南から中国5段
 さらに、1999年8月、中国の名人教授杯第八名(位)入賞に因んで
王汝南中日友好開館館長から、中国5段を頂いている。

ハワイ棋院第一号の6段 
1976年5月、私は桑港からの帰路ハワイへ立ち寄った。
まったく偶然にもハワイの囲碁大会に出くわし、
決勝戦で稲垣為二さんに勝った。
その模様は当時の「囲碁新潮」に記載された。

 
 そのとき、
太田薫理事長(当時ハワイ日本人商工会議所会長)から
親しく歓迎の辞を述べられ、
優勝の賞品として、トランクにいっぱいの加州米20kgと
共に何と「ハワイ棋院第一号の6段位」を贈られた。

当時、ハワイ棋院は設立時に岩本薫九段から、
免状発行権を許されていたのである。

 宇太郎九段の国際6段
 さて、この話にすぐ乗ってこられたのが中国に同行した
経緯もあり、橋本宇太郎九段で言後に言われた

「高野さんには私から国際6段を差し上げましょう」と。
「何か書き付けでも・・・」と申し上げたら、
「私の口頭は書き付けです」と、破顔されていた。


 

日本の知られざる囲碁免状

 藤沢秀行免状  

◆藤沢名誉棋聖が日本棋院に復帰!◆

  2003年7月2日読売新聞の記事が眼に飛び込んできた。
曰く「日本棋院の収入源である免状を独自で出すことを
表明して、日本棋院から除名されていたが(中略)
今後免状は発行しないという条件に復帰となった」と。



碁吉会ではすでに北島隆也さん、宮垣実さんら数人も
この藤沢免状を取っておられ、もう半年も前から
中西美恵子さんのを申請中であったが、なかなか
埒があかないので、催促しようと思っていたばかりであったから、
中止の実情が判ったとはいえ、
まぼろしの免状化したのに、たいへんなショックである。



 


瓊韻社の免状

 「其もと免状」 


耳学問で、裏付けのあるものではないが、
瓊韻社(ケイインシャ)の免状に触れておきたい。

そもそも瓊韻社は棋正社の高部道平から別れて
雁金準一が結成したものである。
 余談だが、高部道平は中国へ渡り、置き石のない
自由に打てる現在の碁を中国へ紹介した、
とは北京での語り草である。


この免状は「其許(そこもと)免状」とも言われ、
今、私たちが持っている棋院の免状は
「貴殿益々・・云々」と始まるものであるが、
「そこもと(お前)は・・」と古式に則り始まる
瓊韻社の免状は希少価値そのものであろう。


雁金九段(1879年〜1960年没)亡き後の
瓊韻社の後継者やまぼろしの「其もと免状」
の消息について、私は寡聞にして知らない。