前を抱えて右往左往 高野圭介 (1) もう、8年も前、中国の済南から斉魯晩報社長・梁洪文社長を団長に、 友人田振さん、劉暁梅さんら一行が下関を訪れた。 済南と下関は姉妹都市で、囲碁を通じての交流である。 朋友・田中正則先生の肝煎りで、実現したが、 私も10人ばかり、中国語の学友と共に赴いた。 その時の話である。 数人で見知らぬ下関をあちこち見ていたら、尿意をもよおしてきた。 10分、20分と、トイレ探したが、いっこうに見つからない。 変なのが伝染してきて、皆んなが前を抱えて右往左往しかけた。 それを見かねたある奥様が、「どうぞどうぞ」と、自宅へ誘うて、 やっと、事なきで済んだが、女神のように見えたそうな。 (2) もっと前の、20年も前の話。 橋本昌二、家田隆二、岡橋弘忠の3人のプロと一緒に共産圏を囲碁行脚した。 チェコ・スロバキヤ、ポーランド、東ドイツである。そしてパリへ入った。 当時まだベルリンの壁が崩壊していなかったときのこと。 たまたまベオグラードに投宿した。 数人で、ぞろぞろ市内に繰り出しての観光の途中、誰かが「おしっこ」と、言い出した。 「じゃあ、あのデパートへ行こう」と、とあるデパートの階段の辺りを探したが・・・無い。 じゃあ、2階、3階へと行ったが、ない。 ある男が「こちらへ来い」と手招きしている。 誰かが「あの人、金を呉れ!と、言っているで」 「この際仕方がない、たいして取られへんやろ」と、着いていった。 隣の家が、公衆の有料トイレであった。 「なーーんだ。そんなことだったか」 用を済ませて、最後から出てきたのが、人気者の熊尾さんという人。 彼は関西棋院の谷町の一人でもあった。 手に紙を持っている。 「儂がなぁ、大きいのを・・と、言ったら、紙を呉れたんや。 済ませて、拭こうとしたら、滑って滑って、拭けるかいな。 見てみな、表はつるつるで、裏はざらざらや。滑るは、痛いは ・・・えらいこっちゃ・・・あはははっっh」 (3) 碁吉会が1998年春、阪本清士さんの肝煎りで、因島で大会を催した。 最大の出しものは因島の大親分・村上文祥と、 碁吉会の大天才・井山裕太少年の対局であった。 困ったことが一つあった。 碁吉会は元々禁煙である。 文祥先生は片時もタバコを離さない愛煙家である。 公開対局なので、二者択一しかないのだが。 結果は、碁吉会の対局が済んで、後の別のイベントということで 折り合いの糸口が見つかった。 その時の話である。 文祥先生が朝日か、毎日か、どこかのアマ棋戦で、秒読みになってしばらくして、 尿意が催してきた。先生は右往左往されたかと思いきや その時少しも騒がず、対局時計をニュートラルにして、 堂々とトイレに行って、帰ってから打ち継いだ。 局後、もちろん大問題になった。 先生は「これは生理現象で、ダメというのは人権問題であって、 生理現象に限って、許される」と、主張。まさしく地頭の弁だった。 それ以降、不文律としてのルールとされ、罷り通るようになった。 だから、今回のタバコ問題は、碁吉会の不文律として、生きていなければならないが、 幸か不幸か、適用する場面に未だ接してない。 もちろん心待ちもしていないが。 (4) お田舎の西光寺さんというお坊さん。 豪快な方で、ボーイスカウトの指導者でもあった。 スクーターで、三時間もかけて友人と京都まで 高速道路をひた走っていた。 後ろから付いて走っていた願寿寺さんが、 何やら前のスクーターから油か、水が漏れだしたのを見付けた。 「おーい、水が漏れ取るぞ」と叫んだが、 そのままどんどん走る。 その内に、水も止まり、「どないしとったん。大丈夫か?」 「いやあ、おしっこがたまらんようになってしもうて・・・」 じゃあ、これでおしまい。 |