何かが変わる ・・・トルコの社会問題「一夜の家」・・・ 高野圭介 「国民が動けば政治が変わる」 「自民が変わらなければ自民を潰す」 今、参議院選挙の最中である。争点はいろいろであるが、 いよいよどのように落ち着くか。 実は、政治が変わる、というのは「統治するベースが変わって」 「派生してくるすべてが変わる」ことだ。 歴史を見よう。 歴史の変わり目というのは政変の時を以て節目が付けてあるようだ。 たとえば、××時代というように。 国家間の戦い、また関ヶ原の戦いのように部族の戦いでも支配者が決まる。 支配者は法そのものだった。 「朕は国家なり」であった。 ところで住民の意思で社会が変わっていくことも多々ある。 フランス革命のような人民の力もそうだが、今回の選挙も同じだ。 法が先か、人民の意志が先か? 「Yes on 15」 もう25年も前のこと、 カリフォルニアで、道路端に見た道路標識のような立て札。 私は「15日に何かの投票の案内」かと思った。しかし、 「原子力の平和利用について、15の項目の中から、選ぼう」つまり 「許可しても良い原子力の利用の種類」を民意に問うている。 民意が先の法案作りであったわけだ。 2004年6月、トルコの首都・アンカラへ行った。 「一夜の家」というのを聞いた。 土地の不法占拠が社会問題になっているという。 ある日、山腹に、一夜にして忽然と家が建つ。 もちろん不法建築である。 それが、やがて「一夜の家集落」となり、荒れ果てた土地が ひとかどの価値のある住宅地と化してゆく。 いきおい、行政もインフラも充実させ、 高級住宅街と自他共に認めるようになったときは まさに貧者の一灯から資産家へと変身してゆくわけだ。 トルコではイスタンブール他あちこちの都市に散見される。 非合法のなし崩し合法化であろう。 ところが普通、人為的には何もなくて、 「ぜんぜん変わらない」ように見えても、 日々新たに、どこかじわじわ変わっているというのが本当だ。 史的弁証法がそれを説明している。 一般に歴史を古代・中世・近世・現代などと区別されているが、 大きな人類の自然史・人類史・文明史の立場で歴史を見れば、 AD1800年頃を境に、大きく古代と現代の二つに分けるのがいい、と言われている。 その間、××時代と言われて、変わっているように見えても、 本質は変わっていなかった。 この2000年ばかりの間は、ずーと農業革命の真ただ中にいたわけだ。 ここ200年はやはり一口に、産業革命で、 昨今は急進しているだけだ。 (14)現代〜200年前 近代文明(市民革命、産業革命の進展) (13)2000〜5000年前 古代文明(農業革命、歴史時代の始まり) (12)7000〜1万年前 中石器時代(言語の獲得、先史時代の終わり) (11)1万年〜4万年前 新・人の誕生 (10)40〜100万年前 原人・旧人類の発生(火や道具の利用) (9) 200〜400万年前 猿人類の発生(直立歩行の開始) (8) 500〜800万年前 ヒトの発生(猿類との分離) (7) 1000万年前 猿類の発生 (6) 1億年前 哺乳類の発生 (5) 5億年前 生物の発生 (4) 35億年前 生命の発生 (3)45億年前 地球の誕生 (2)100億年前 原子の形成 (1)140億年前 宇宙の開闢(ビッグバーン) 碁の進歩を考えてみると 碁のランクは大きく 段の人・級の人とかいうが、 更に細分化して、3段初段・5級・・・と称される。 細かいところの区別など、実は難しく、大別して、 強いと弱いのとに分けるのが良いという意見もある。 強い・弱いの、ラインはどこか 大まかに線を引くともなれば、 棋理から大きく乖離しないと思える、5段ぐらいがボーダーライン という程度なのかも知れない。 「プロが打てば、それが新定石になる」というのは 「プロ棋士は棋理なり」ということだ。 それでも、4段から5段・6段へのグレードの深まりは、その人にとって、なかなか難しく、 たとえば・・量が質を規定していくように、 強い人とは 布石・読みの深さ・詰碁などや、筋と形などの実戦量・知識量などで 「碁が分かってくる」 というような何かの質的変化をきたしたとき・・・とでも言っておこうか。 でも、その進展ぶりは 初心者からどのランクをとってもやはり同じこと。 気象学上「蝶の羽ばたき効果」というのがあるそうな。 蝶が羽ばたいて、かそけき空気の動きが生じたとき、 連鎖反応から大風に変わっていく、というのだ。 今、碁の質的変化と言ったが、その初めの原動力は、身近に 詰碁の一つ、弱い石の認識一つをもたらす、あなた自身 囲碁に対する問題意識を平素持ち続けるとき、 「碁の何かが変わってくる」という向上の 扉を開けているわけだ。 |