No の数々

「no game」  「No thank you」 「No Picnic」

                                                        高野圭介




「イエアル」

「ノウナイ」


もう、おおかた60年も前のこと、

私が中学生で、英語の習い始めだった頃、寄宿舎で妙な言葉が流行った。
「イエアル」「ノウナイ」である。つまり「Yes 有」「No 無」で、いわば「OK」「NO」である。
それがいつの間にか「No Good」「No Test」「No control」など使っていた。


No Camera




イギリスの劇場や美術館などでは No Camera or No Photo などが目につく。
No Smoking , No fire も簡潔で素晴らしい表現と思う。
No Problem は寛容の最たる言葉だ。

世界で共通の言葉は、No の他には Byebye Papa Mama などであろうか。
万国共通語はそんなに多くない。


No thak you





 20年よりもっと前、

アメリカはカリフォルニアのタマルパイヤスの山麓にお住まいの
Lloyd Saxton & Nancy ご夫妻のところに居候よろしく
お世話になっていたときの話である。

 
当時 NHK で客員・深田祐介の「外国から見た日本」という番組があった。
帰国後、この話を 「この番組の中で話せ」 ということで、私も出演した。
司会・鈴木健二アナが実にタイミングよく ぐっとマイクを突きつけてきた。



私の話した内容は・・・


私たち三人は谷間に着き出したベランダ=デッキで朝食を取っていた。

ナンシーが「ケイスケ、コーヒーは要るか」と聞くので、もし「イエス」と言えば、
そこそこ離れているキッチンへそれだけに取りに行くのは申し訳ない・・と思って、
「No thank you」と言った。

しかし、ご主人のロイドさんが I want と言ったので、
彼女はまもなく、大きなポットで持ってきた

私はそれなら・・と、カップを差し出した。

翌日のこと、ナンシーは私にたしなめて言った。

「ケイスケ、もっとはっきり言って貰わなきゃ、やりにくい」と。
当然のことなのだが、私は私口籠もった。

「日本人の No thak you には遠慮というものが
入っていて、No と Thak you が混在するんだよ」


果たしてナンシーはどこまで解かっていただろうか。


Sara Newman
 だいたい人間は同じような感情で・・・

イギリス人の Sara Newman 嬢に大勢で食べたお菓子の最後の一つに
手を出して取るのは勇気の要ることで、なかなか手の出ないものだよ。
イギリス人の中ではそういう遠慮とかいうような配慮はありますか?

そういうように聞いたところ、
「イギリス人も、どの国の人でもやはり同じですよ」と返ってきた。
こういう心の動きは世界中同じだそうだ。
ただ、同じでも違うことが何かある。

No Picnic





美しいスイスの山での No Picnic

 氷河を越え、尾根伝いに、スイスとイタリアとの国境の三角点に着いた。
山小屋でビール・ジョッキ−を買って、テーブルに就いて握り飯を広げた。
眼下の雪渓には犬が雪と戯れている。天気は良いし、
金髪のねえちゃんは綺麗し、空気は澄んでいて気持ちが良い。




 ややあって、
今し方綺麗と言って褒めてあげたねえちゃんが出てきた。
「No Picnic!」と言いながら側を通り過ぎる。
「え、今何と言った? No Picnic と言わなかった?」
「そうだったようよ。でも、言うなら、No Picnicking じゃないかしら」
「何じゃ、このビールは、ここで買ったばかりと言うのに・・・」

No game
No game のこと

野球で「今日はNo gameだ」といえば、ゲームが無いことを意味する。

いったい室内ゲームで、No Game といえば、果たして「打たない」のか、
「打っても、結果が出ない」のか、
「単に勝敗の結果が出ないゲームだ」というのか、
その中でも、
「何かのアクシデントで破棄された」あるいは
「ドローゲーム(引き分け)となった」も、No Game なのか。
いったいどういう状態を指すのだろう。

ここにゲームの何百何千という
No Gameの実態を追求するのは難しい。
それを単に No Gameで、誰もが共通理解となっているのがおもしろい。