矩を踰えず 高野圭介 予曰 吾十有余而志乎学 三十而立 四十而不惑 五十而知天命 六十而耳順 七十而従心所欲、不踰矩 「論語」為政編より |
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矩を踰えず | 論語には「七十にして矩を踰えず」とあります その解釈もいろいろで、若干ニュアンスが違います。 七十にして、心の欲するところに従い、矩を越えず。 七十にして、己の心に従えども矩を越えず。 七十にして、心の欲する所に従えども、矩を越えず。 七十歳になった今。心の動くままに行動しても、 決して人の道から外れることなく生きる。 今、矩とは方形を正しく書く定木、さしがね。又、きまり、おきて。 つまり、(人生の)法則にはずれないことと、ある。 では、今、自分の生活の中の矩とは。 青写真を引いて、これが自分の規律だ!と、主張してみたところで、 実体が伴わなかったら、何の価値もない。 かといって、何の理想も掲げず、あるがままの日暮らしをしていて、 それが規律だ。という訳にもいかない。 |
トレッキング |
先日、チロルへ行ってきた。 碁と登山(トレッキング)の謳い文句だった。 常に折を見て裏山の六甲山を歩いているから、 トレッキングには大きな希望を持って臨んだ。 トレッキングは本格的な山登り。 ハイキングとピクニックはもっと軽い。 ところが、トレッキングと言いそうな本格的な登山は 私にはもはや出来ないことが分かった。 同行した安倍吉輝九段は若さもさることながら、 普段からの鍛えが違う。どんな山でも平気だった。 私は2005年8月で、74回目の誕生日を迎える。 いわゆる馬齢を重ね過ぎて、もはやアルプスはお呼びでなかった。 これからは年相応の規律。環境・体力に合わせた規律。 その規律を守りながら、 今の自分に相応しい生きざまで生きていくより他はない。 |
人生七十 | 年齢の趣のある表現は、詩人杜甫の曲江詩の中に、 「人生七十古来稀なり」とあります。 因みに、年齢の別称を見れば、 50・中陽 60・還暦 61・華寿 70・古稀 は過ぎ去った。 77・喜寿 80・傘寿 81・盤寿(将棋) 83・美寿 88・米寿 90・卒寿 99・白寿 108・茶寿 111・皇寿 120・昔寿 また、こういう言い方もあります。 60・小寿 80・中寿 180・大寿(仙人と化す) |