置き碁風からの脱却!


反パークスと反小沢民主党へ

                                                       高野圭介


イギリス公使


パークス


早稲田の創設者・大隈重信は傲慢不遜と折り紙付きの
イギリス公使・ハリー・スミス・パークスに言った。

「日本国内のことをやるのに、外国からの干渉は受けられぬ。
ましてや外国の公使からの指図を受けぬ。」

つまり、
パークスは自分が背負うているイギリスの国威、イギリスの文明という尺度で
中国を見、アジアを見、日本を御そうとしたのです。

明治維新お進行する真っ只中にいて、日本の公使となって
日本に対して、うわて(上手)に出て、日本を侮る態度こそが
仕事が上手く行くすべと思ったのです。

パークスの威圧に日本は屈したか?
でも実際は、嬉しいことに、
日本の素晴らしい指導者・新島襄、副島種臣らの前に、
日本はすっくと立ったまま歴史を刻んだではないか。


小沢一郎
率いる民主党


折しも、この2007年12月7日、
豪腕・小沢一郎率いる民主党議員40数名。
総勢400名の視察団が中国を訪れて人民大会堂に

胡錦涛国家主席を表敬訪問した様子がNHKで放映された。
それは、その記念撮影の映像とともに、
小沢代表は字幕でこう語っていた。

「写真を撮っていただきましてありがとうございました。
握手をしていただきありがとうございました。」


私は小沢に、
パークスに屈し、植民地を与えてしまった日本の姿を見た。
不思議なことだが、小沢の卑屈な言葉はその後、電波に乗らなかったし、
新聞紙上にもかき消されてか載らなかった。


聖徳太子



「日出ずるところの天子、日没するところの天子に致す。
恙なきや」

聖徳太子の言葉を思い出した。

これも不遜で戴けないが、まるで逆である。


置碁風の
石の姿



私はまたまた囲碁に、
ふと、小沢語録の卑屈な残映を見出した。

それは、うわての前に、五子置くアマの石の姿であった。

守っても守っても、どんどん減らされる置碁風の石の姿。
かと言って、対等風に打てば、潰されそうで、
哀しいかな、それは実力の差だけだろうか。
頭から怯えている心の問題なのか。



棋理に従い
自由奔放に



今の、卑屈な小沢民主党に日本を任せることは断じて出来ない。

同様に、われわれアマの碁も、
おどおどした置き碁風から脱却しなければいけない。

石の持つ意味をよく考えて、如何なる上手とも怖れず、
脅しにも負けず、棋理に従い、自由奔放に打ってこそ、


碁盤の上で、小沢風の負け犬スタイルから抜け出して、
パークスに勝つことが出来るのではないか。