プロ・モード

ー神戸囲碁倶楽部と緑星学園ー

                                                  高野圭介

 神戸囲碁倶楽部
ヒカルの碁以来子どもの碁の環境は変わった。
2004年1月25日、垂水で神戸囲碁倶楽部がオープンした。

堀田陽三、結城聡、吉田美香と錚々たるメンバーの
れっきとした子どもの囲碁英才教育の現場である。

 村尾貴重君
 お伺いして早々、
吉田美香先生の隣で、塾頭とも覚しき少年と打った。
名を村尾貴重君といい、碁を覚えて二年という。
灘高からのエリートコース志向の中学生とも聞いた。

彼はやって来る子どもたちの姿勢を正し、いろいろ細かく面倒を見ている。
打った感触は、もう数年も経てば逆転されているかとも思った。


高邁で純粋な姿勢
 叩き上げシステム 


堀田陽三席主



聞けば、プロ・モードの子どもを育成する目的で創立されたが、
結城鶴聖は「一人でも自分より強いプロを創りたい」と喝破される。
堀田席主は勝敗よりも、碁の内容を問い、全人格の育成に主眼を置いていて、
対局態度とか、言動とか、大人でも子どもでも、些かでも私の意向に反する場合は、
この道場では、勝手ながらどなたによらずご遠慮を申し上げる・・・
これが私の唯一のわがままですと、おっしゃる。
高邁で純粋な姿勢である。


今、日本の囲碁界は平成維新のまっただ中にある。
一つは日本棋院・関西棋院の段位の権威を50年かかって取り戻そうといういう動き。
もう一つは将来を託し、若手の育成に主眼を置く。若手といっても、
もの心の付くか付かないかの子どもからの本当の叩き上げシステム。
この両輪がいかに頼もしいものをもたらすか、嬉しい限りである。


関西棋院では3年前、大阪で関西棋院囲碁学園を立ち上げ、
すでに院生4名を輩出し、一程の成果を上げている。
その旗振りが当の堀田陽三席主であった。したがって、
席主の「今から15年先を見てくれ」というお言葉に私はわくわくしている。

 緑星学園   
私はこの神戸囲碁倶楽部に緑星学園が重ねて見えた。
この話に、堀田席主は関西棋院囲碁学園を創立するときにも、
菊池さんの素晴らしいアドバイスを戴いた、と言われる。


思い出せば
もう25年も前、長男の雅永が慶応に在学中、緑星学園にも籍を置いた。
cf: 菊池康郎著 『囲碁を通じて人間育成−緑星学園ー夢とおどろき』 p.97

1980年、次男の雅晴が全国高校囲碁選手権大会に兵庫県代表として上京した。
菊池先生は小学生の生徒たちに二人を「永先生」「晴先生」と呼ばせておられたが、
高校大会のトーナメント表を見て、「準々決勝に当たる及川洋少年が最大の難関」と、
雅晴に言っておられたが、全くその通りに進行し、及川洋少年が優勝した。
なんと、菊池先生はこんなことも熟知されていた。

青木伸一・喜久代兄妹 
遡って、1979年春学園へ行ったときのこと、

道場におかっぱの可愛い女の子が一人居て、
板盤を拡げ「お願いします」と、黒石を3個置いた。
とても強かったが、ひょんな拍子に大石が頓死した。

途端、「お兄ちゃん、敵を取って」と隣の部屋へ入ったかと思うと、
入れ替えに、一人の男の子がどどっと出て来た。
 彼は白石をぐいと引き寄せ「お願いします」と言う。
私はその気迫に負けた。碁にも負けた。

 後で、結城冴子さまに聞いて分かったが、
その兄妹は名にしおう青木伸一・喜久代兄妹であった。

 プロモード・ビッグバーン
善いものは奥深い広がりを持つ。

碁でも文章でも、善い一着一言は素晴らしい広がりを見せる。
正反合の矛盾的統一などと言うまい。善きDNAが煌めいているではないか。

今、私はこの
東西囲碁学園のプロモード・ビッグバーン
玄玄の大いなる広がりを現実のものと、夢見ている。