龍澤寺の一万円札 山本玄峰老師・中川宋淵老師論 高野圭介 |
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伊井国雄さんの 蘊蓄から |
1996年春、伊井国雄さんが碁吉会箱根大会にご参加頂いた。 その翌年の夏、静岡近郊に伊井さんを訪ねた。 東海道駒子宿名所・丁字屋に「とろろ汁」へとご案内をいただいた。 伊井さんの蘊蓄がまた楽しかった。 タクシーでは次郎長や勝海舟のお話しで持ちきりだった。 宿に着いても話は弾む。 |
神部満之助社長 | 伊井さんは静岡の本因坊であったので、 間組の神部社長と昵懇な間柄だった。 微粒経営論で有名な神部満之助社長は 自らも碁を打つ無類の囲碁愛好者で、 囲碁界のよき後援者であった。 才人で俳句もよくし、俳号を黄子といった。 |
呉清源が 「黒の名局」と 激賞 |
あるとき、 棋士・五十川正雄六段と握って神部社長に白が当たり、 黒5.5目コミ出しで、白半目勝ちとなった。 立会人呉清源は「黒の名局」と激賞したという。 |
山本三七子さん | 因みに、 京都の山本(旧姓井上)三七子さんが1967年に女流アマの全国制覇され、 以降、しきりにお呼びがかかり、 大阪までよくお相手に出掛けたと述懐されている。 |
中川宋淵老師 | 談たまたま三島の龍澤寺に及んだ。 私がかって蜜多窟・中川宋淵老師を春の寺に尋ね、 一ヶ月も警策に叩かれて座禅を組んでいたからである。 因みに、宗淵老師の俳句は大きな美しい句だった。 たらちねの生まれぬ前の月明かり 宗淵 |
山本玄峰老師 | 伊井さんは警察署長当時、 管轄下の龍澤寺の般若窟・山本玄峰老師に私淑されていた。 神部社長が「玄峰老師に引き合わせを」と言われて、たまたまご案内された。 そのときのお話しである。 |
新一万円札 | 寺の本堂へ行く渡り廊下に差しかかったとき、 神部さんが老師に「これが最近発行された一万円です」と言って、 裸のまま新札を手渡した。 「ほほう、こらが一万円札?なるほど、して、これは頂けるんですか、 これは有り難い」と、札をおでこにくっつけて、懐にした。 更に「この辺に今、万両が可愛い実を付けている頃ですが、どうですかね。 あ、そうそう、ここの禅の修行堂は一万円で建ったのですよ」とも。 |
東宮御所の 一万円入札 |
それからほど経ずして、ご存じ、間組の、 例の「東宮御所営造工事一万円事件」が起きて、 結局はこれはご破算になりましたが、 定めし三島での、あの一万円札の会話が符合する、と 今でも私は思っています。 |
中山典之先生 との後日談 |
追加記です。 たまたま 中山先生とチロルに同行した。御地で、 「帰りに、静岡に人を訪ねるつもり」と、申し上げたところ、 静岡なら、 伊井国雄さん、水野勇さん、大石静子さん、木野文子さんの話が出た。 私は、その人達に会うのですと言って、 余りにも符号の一致にたまげたのである。 |