スカンピンがskimpy


 私にはアレルギー性の鼻炎がある。冴えないはなしだが、
朝、しきりに鼻をかむ。今日もかみながら、考えた。
 鼻孔から出るこの水様の液体のことを『広辞苑』でひくと、鼻水という。
 俳句のほうでは「水洟」といって、ありがたくも冬の季語になっている。

     水洟や七敵躱し帰り来て   神林信一

−『草田男季寄せ』より−

 作者は、外出中に水洟が出て、こらえかね、出会う人ごとにそぞろにあいさつしつつ
身をかわしてやっと家にたどり着いた。
七敵というのがいい。男は家を出れば七人の敵がいる。
そんな俚諺を挿入することで滑稽さがふくらむ。
    −中略−
 ふるい漢語では、鼻汁のことを泗(シ)という。現代中国音でいうと、(スー)である。
鼻汁が出て、吸い込むときの音である。
 ひょっとすると、スープも音から出た言葉かも知れず、辞書の例文をみると、
汁(シル)同様生理的分泌液にもつかわれることがあるようである。
 しかし、英語は日本語のように癇性病み(病的なきれい好き)ではなさそうだから、
シル(お汁)がワン(お椀)になるような急変はおこるまいと思われる。

 これは司馬遼太郎『風塵抄U』p.39.を読んでいて、
シル・シ・スー・スープと、
同じような分泌液から同様の発音が生じているのを知ったとき
あの日の場面がありありと見えてきたのである。

 1980年代のある夏、サンフランシスコのレストランでのことだった。

 私は家内の美津子とアメリカの碁の友人たちと、食事のメニューを見ていた。
 たまたま美津子はお腹が弛んでいて、「何か、軽いもの」を探していたところ、
「それじゃ、スキャンピィ(scampi)がいい」と注文してくれた。

 運ばれた料理は、何と、シャコ(蝦蛄)である。シャコを茹でて塩味で食べる。
なるほど食べるところはほとんど無い。スカンピンだ。そう思ったとき、
素寒貧の三文字がト、ト、ト・・と並んだ。見るからに、空っぽの字ばかり並んでいる。
 これはきっとポルトガル語あたりの言葉に、
当て字で読んだのに相違ない、と、思って時、
私は英語にこのような「空っぽ」の単語はないか?と聞いた。
「あるある。skimpy は乏しい、貧弱な などだよ」と、返ってきた。

 まあ、なんと、スキャンピィ・スカンピン・スキンピィ
すべて「空っぽ」だったのに驚いた。

 そう言えば、ソニー:sony は sound だったな、などと
いろんな言葉の根源が飛来していたものだった。