お好きに、ご自由に

                                          高野圭介


好きなもの
漫画家の萩尾望郎さんはデビユー直後、
描いてもポツの日が続いた。

「好きなものを描けないのなら、意味はない」と、ふっ切れた。
体験と知識の無い分、大胆になれたのだ、と振り返る。


ーー2008年1月14日 毎日新聞・コラム「余録」記載ーー


自由
自由


好きなものを描く・・・・好きにする・・・自由。

この世に、自由より素晴らしいものはない。
押しつけられた、不自由さは耐えられないものだ。
束縛から解放された自由は何ものにも代え難い。

言論の自由、表現の自由、然り。



囲碁将棋
レッスン


昨日、ケーブルテレビの囲碁将棋サイトで、
さるプロのレッスンがあった。


講師は谷村義行プロ。



「黒4はケイマにウケるところです。
白5の山型は理想です。黒6ケイマ・ウケはこの一手。
白7に、黒8は4が一間ウケだから、ここも一間ウケが正しい。
黒10は黒のケイマに呼応して、ケイマ・ウケです。
そして、黒12と、左辺を制して、構えも勝勢。」

「山型の3子で囲んだ地は大きく見えても、15目。
スミの3子で小さく囲んだ地も余り変わらない。
地合いでも、決して負けていない」

ほほう、そう言う説もあるか?と聞いていたら・・・・、

「これをしっかり覚えて下さい。
きちんと覚えるンですぞ・・・」

これを再三やって、番組は終わった。

せめて
囲碁哲学の
一端を


丸暗記せよ・・・とは、何と、
押しつけがましい講義なのか!
こんな事を丸暗記してどうなるんだろう・・・

凄い精力をかけて、理屈抜きに、
努力して丸暗記する真面目な人こそ大迷惑!

百に一つもこうはならないものを。

丸暗記でなく、遅々として進まなくとも、
その手順の底に横たわる囲碁哲学の一端でも
披露して欲しかったのに。


好きに
打つのが
最善



わが敬愛する阪本清士アマ棋士が
母校・関西学院や宝塚の囲碁教室で
囲碁学の指導に当たっている。曰く

「自分が思うところへ打つのがよろしい。
好きに打つのが最善です」
が口癖である。

指導は自由な対局の中で、筋悪を修正し、悪形を正し、
囲碁観・大局観を養うのだそうだ。


互先も
置碁も
同じ



強い人と弱い人がそれぞれ学習しているが、
それは決して別のものではない。

共に
あくまでも「基本に忠実に」が大切で、
表現はどこまでも自由第一。
互先も置碁も区別など出来ない。


私自身、何にもとらわれず、自由に打っていこう!
しかし、それが
碁のベースメントから逸脱していないか?
を自問し続けることこそ肝要!と心得ているが。