運転免許五十年
                                                     高野圭介

 梅雨空の中、自動車免許証の書き換えのときがやってきた。
年深く、「高齢者講習」を受講する義務が生じていた。
 友人の宮垣実さんが「勉強になるよ」と言っておられたが、
なるほど運動神経、動体視力、注意力から視力の回復
等々の検査から見えない身体の衰えが運転にどれほど厳しい
影響を及ぼしているかを痛いほど思い知らされた。

 滅多に見ないのに、免許証の取得が1953年で、
ちょうど50年前と知り、「おお、五ツ昔」と感無量。
運転した50年は走った道が私の履歴を物語っている。
 初めはダルマのポンコツに乗ったりしたが、
終いには阪神震災後ソアラーを乗り捨てた。
あとは自転車へ、そして徒歩専門と変えて、
いまは早朝から歩き倒す毎日。
お陰様で足だけは強くなっている。
最近片手落ちも困るので、ダンベルトレーニングも始めた。

 先日「チベットの女」 −イシの生涯− という映画を見た。
ちょうど私の運転歴と同時代 50年間の彼女の
生き様を描いたものだった。
側から見たら、私のはどんな生き様だったのだろうか。
「人生五十年夢幻のごとし」だが、来し方を思うと、
私がいまここに居て、過ぎ去ったものはすべて今の自分に
集約されているだけで充分で、他に何もない。

 2000年の秋、碁吉会姫路書写大会で世紀末のエポックに際し、
碁歴50年(女性は25年)の方々を表彰した。
私も50年経っていたが、何と男性18名、女性8名と思ったより多く、
女性の50年は相当難しそうだった。
井原嗣治さんは「まだ2ヶ月足らん」と言って辞退されたが。

 その自動車免許を取った頃、私は妙なことを思い付いていた。
 1メートル指しをじーっと見ていて、自分の人生を測っていた。
すると、20ミリが1年に当たる。つまり、1ヶ月が2ミリで、もう20才を
過ぎているから、後半分の25年としたら、
何と1ミリが1週間と知り 愕然としたものだ。

 今や高齢者に名を連ねたが、このミリの日を切実とも思わず、
却ってのほほんと過ごしているのが不思議なくらいだ。