忘れゆく碁の道が・・・・蘇る

                                              高野圭介

難しい碁の道
 碁を覚えるのはとても難しい。
また覚えたことを忘れなかったらいいのになぁ、といってもそうはいかない。
「忘れられない病気」に罹っている人以外には。

 宇太郎先生の記憶力
かって『宍粟の碁』出版記念パーティのとき、
宇太郎先生に次の一手の出題をお願いしたことがある。
先生は大盤に黒白と何10手も石を置いて

「このくらいにしましょうか」
「あ、もうちょっと」と言って、更に5〜6手ばかり加え、
「じゃぁこれで」と言われました。先生は振り向きざまに
「高野さん、この碁を知ってますか?」と言われたが、私にはチンプンカンプン。

聞くと、江戸時代のお城碁の一局とかで、どちらが何目勝ち、とか、
この碁に纏わるエピソードも話された。


覚えてなかったら、
忘れなくていい



っその碁の中身はすっかり忘れてしまった。
オドロキの余り、私は覚えてないから忘れなくていいな、など
不埒なことを脳裏に浮かべたりしていた。
やっぱりそのようになってしまった。

 忘れられない病気
どのようにしたら、忘れないのかと自問したら、
どうも「忘れられない病気」というのがあるらしく、

思うに、脳味噌に写真の原板が張り付いて、いや、
今様に言えば、IC のチップがぎっしり並んでいて、引き出せば
勝手に正確そのものの情報が出てくるような仕組みになっているのかな。

大井万兵衛列伝 
大井万兵衛という碁の小原庄助さんがいた。
50才田舎初段から90才6段と精進された方だ。

104才の生涯を閉じるまで生涯働いて、人からお金を貰ったことがない。
自分の山の木を売って生活するのだが、買い付けに行った山のプロが
「大井さんが何石あるよ。と言われたら、キチッとあるんだなぁ。
どうして量られたか、分からない」
と首を傾げておられた、とも聞いた。

また、碁一筋で、好きな魚釣りや他の何でも疲れたりして
碁の邪魔になるものは直ちに断った。

でも、酒だけは死ぬまで止めなかった。
酒は碁には大いにプラスと信じておられたようだ。

「高野さん、この頃だいぶ酒の手が上がったね。
もう、ぼちぼち碁も強うなってや」と私も言われたものだ。

99才と9才の対局
1981年、大井翁白寿祝賀碁会の席で、
翁は橋本昌二九段に五子を敷いて、見事な和局を打たれた。
(cf:「宍粟の碁」p.200.)

1981年といえば、佃亜紀子さん当時9才が来町されて、
99才と9才の対局をされ、週間碁に記載されたこともあった。


碁の道を忘れてしもたがいな 
1984年、翁が103才の老人の日のこと、
姫路から米田恵県民局長が福祉事務所長と長寿のお祝いを持って
翁を家に訪ねた。

「翁にあやかりたく今日の記念に一局お願いを」

「わし、碁の道を忘れてしもたがいな」

「おじいちゃん、折角やで、まあ打ってみないな」と、
奥さんが碁盤を出してきて、どしっと目の前に置かれた。

碁の道がありありと蘇り
「お願いします」
と、局長が石の音を盤上に響かせた。

 もう、真っ白になっていた筈の翁の脳裏に碁の道がありありと蘇り、
見事な碁が作られていったのである。