贅沢極まる碁

                                           高野圭介

 週間碁(2004年 5月10日)の「ほっとインタビュー」に載っている
万波佳奈女流棋聖の言葉を紹介しよう。

「地に辛くて、戦いにも負けない碁を打ちたい(今の碁はそのように目指しているが)
そしていつかはじっくりと手厚い碁も打ってみたい(将来の願望は)」と。

「厚くて、地に辛くて、戦いに強い碁」があれば、理想的というか、碁のユートピアであろう。
果たしてあり得るのか、何んと贅沢なことよ!
「妻を娶らば才長けて、見目麗しく、情けあり」の歌詞を連想した。
もし、妻に三拍子揃っている才女なら、比べてみればどれほど自分が惨めなのか、
碁も一緒だよ。健気にも無いものを追い続ける自分のすばらしさ!

 私が碁を知って55年になる。

 その間、棋風というものを考えるようになってから、中から打ったり、隅から打ったりした。
 つまり、どんな碁でも打てるように、中をしっかり打って、厚い碁を身につける。
そして上手く乗り越えたら、一転、逆に四隅を占めて、余して打つことも出来る。
これを交互にやって、all round player を目指した。

 やがて厚い碁とは、薄い碁とは、などの意味が実はたいへんで、
3三で活きるのが中の壁より厚い場面もあれば、
壁を作って、厚がってもダメなことも分かってきた。

 しかし、冒頭の「厚くて、地に辛くて、戦いに強い碁」に何か欠けているものを感じたのは
「バランス」、呉清源のいう「調和」であった。
静的には全局の黒白石のたたずまいであり
更に、動的にはいつ、どこから動くなど正解など絶対にない。

 とは言え、研ぎ澄ました名人上手の一言は金言であり、凡人の言は齟齬である。
裏付けが違うからだ・・など思う。

 もう一度冒頭に返って、万波女流棋聖の言葉には入り込む隙などあるわけが無く、
余人が「調和」が欲しい、などと言うのは愚人の戯言でしかないのだろう。

 ともあれ強烈な「ヨミの入った一手」が彼岸の彼方に消え去った今の自分の碁には
次善でも最善として、いや、元々最善なのだが、否、出来ないのは分かっていても
「柔らかく包み込む」ノウハウを構築しようとしているように
・・・自分で内観できるのだが・・・