「浜辺 荘さん県名人を二年連続制覇!!」

 
おめでとう!




  碁吉会・鼎の重鎮・浜辺荘さんが
2004年6月4日、神戸新聞アマ囲碁名人のタイトルを
      昨年から続き今年も奪取しました



 浜辺さん・悦びの言葉

      ・・・喜びのインタビュー記事を神戸新聞から抜粋・・・

      「連覇できるとは思っていなかった。運良く勝てて、本当にうれしい」
      六月に行われた兵庫県アマ囲碁名人戦の中央決勝大会で、
      2年連続3度目の県アマ名人に輝いた喜びを、
      無欲の勝利と、素直に表現される。

      決勝戦の相手は昨年と同じ、亀井達弥さん。
      亀井さんは兵庫や茨城などの県代表の座に20回ほど輝いたことのある強豪で、
      中盤まで、巧みなうち回しに悩まされたという。

      ただ、過去の決勝に比べて、気持ちに余裕があった、と打ち明ける。
      「今までなら、絶対負けられないと意地を張っていた。
      今回は『良くぞここまでたどり着けた』『いつ負けてもいい』と、
      肩の力を抜いたのが良かったのかもと」と。



優勝への戦いの足跡・・・を振り返って

今年は実戦不足でたぶんいい所無く負けると思っていたが

1回戦景山さんに白番一目半勝ちし、
3ヶ月ぐらい実戦から離れていても、
それほど腕は落ちないものだなと大いに自信をつけた。

2回戦・準決勝戦は、加古川の実力者尾上さんだったが、
1回戦の勢いで中盤相手の大石を窮地に追いやり勝ち上がった。

決勝は昨年同様亀井さんだった。亀井さんの気合がひしひしと伝わって
恐ろしいくらいだったが、

決勝戦では
私は決勝まで来れた事に満足していたので、
割合平常心で普段と変わらない戦いが出来た。
しかし中盤で必負の碁形になり、もはやこれまでと観念していたのだが、
最後まで全力を出すことを心がけた。

盤上・番外から振り返ると、

中盤を過ぎたあたりから相手のリズムが明らかに乱れだしたのがわかり、
ひょっとしたら勝負になるかもしれないと、
形勢判断してみるとやはり勝敗不明の形勢だった。

勝利を確信したのは、

最後のよせを打ち終わったあたりで、
相手の亀井さんはまだ自分が残っていると思っていたらしく。
終局してから目算をはじめ、自分の地が少ないことにきがつくや、
みるみる顔が紅潮し、耳たぶまで真っ赤になっていた。
私はもちろん周囲の誰一人声をかけられず、
しばらくそのような状態が続いていたが、
ようやく亀井さんは2,3個石をつまむと番上にポトリと落として
自らの負けを宣言した。

数えれば私の白番2目半勝ちだったと思う。

 「こんな碁を負けるかなあ」
自嘲気味に口走った亀井さんの言葉が印象的だった。

  なお勝戦の記事は、
近々神戸新聞夕刊に連載されます。
      解説は関西棋院吉田美香元女流本因坊です。
後日、本欄に記載します。


碁吉会の皆様へ

私こと、今年4月より「北山学園」という
発達の少し遅れた幼児を教育する施設の園長を引き受けることになりました。

ところで、3、4歳の子供に碁盤と碁石を与えるととても喜んで、
石を並べたり崩したりします。

これは不思議な光景だなと、理由を色々考えていましたが、
ひとつ私なりの見解を皆さんに聞いていただきたく思い発表します。
赤ちゃんは、生まれてすぐコミュニケーションの第一歩として、
母親の顔を覚え笑顔で反応するようになりますが、
主に母親の目の動きを中心に捉えていると思われます。

優しい目、困った目、疲れた目、うれしい目、赤ちゃんは
お母さんと目を通して日々会話をしているのだ、と思います。
この眼球と碁石の大きさがぴたり一致し、白い目の中に黒い目があり
幼児には、これが懐かしく思えるのではないか、と
仮説を立ててみました。いかがでしょうか。

こういった事情で、何かと忙しく、
皆様にはご無沙汰いたしておりますが、
そのうち落ちつきましたら、
又いろんな会にお邪魔しようと思っています。


2003年浜辺さんの兵庫県2冠優勝の報告記事へリンク