本因坊戦に、碁の品格を問う


                                             高野圭介

本因坊戦
第61期本因坊戦七番勝負第六局を私はパソコン二台並べて見ていた。
Panda-netで一局の推移を。
もう一台はMSNで観戦チャットを。

先番 高尾紳路本因坊vs白番 山田規三生挑戦者の一局である。

苦吟の白86
中盤に入るや、局面は急転回となった。
つまり、黒85に白86と打ったとき、私は少なからず驚いた。

 私には黒85の素晴らしさ。勝負あったとさえ見えた。

白は一時間の苦吟の後、白86。
この読み筋は成算無しで打ったとは言わないが、苦肉の策であったか。

 プロ検討会の一致した見解は
「白86は問題で、活きても得はしないだろう」と報じている。


 黒85について
黒85で、

一局の制空権を制したとき、碁は決まった。
故事来歴が教えている。むべなるかな。

秀策の「耳赤の手」如き「鼻赤の手」とでも名付けたいような一着であった。
あるいは、秀栄のように、打てば、二箇所好点が出来て、相手が悩み、
布石からリードしていく。戦わずして勝つ・・・孫子の兵法のごときもの。

それが黒85ではなかったか。
 この一手を許した白のそれまでの構想に問題がなかったか。


白86について
おそらく、黒85に愕然とした白は局面の打開を探った。
しかし「良い手」などと言える筋は見つからない。

流れから見れば「先手で利いたら打ち得」という感じの、
否、中を手入れして、この、右上を押さえられたら、
そのまま、地合の均衡を失うから、仕方がない。
何となく無理筋ではあるが、やむを得ない。

勝負手であったのでは、と見る。



遡って、
40手までぐらいの判断はまったく分からない。
でも、

立ち上がり、左下隅の「一間高ガカリからの折衝」は
定石辞典によれば、もう廃れた定石で、
かって、石田芳夫vs坂田栄男の対局に現れて、

その類型は
「黒やや好まず」「場合の手」「互角」
こういった評価であった。

敢えて、黒は不評に挑んでいるのである。


まあ、5分5分の進行と見ての話だが、


白40あたりがワン・チャンス。
見通しの良い着手は無かったか?

白の構想が後の局面を支配した。

遅まきながら、白86で、
中に備えるような反省の時間を割き、
過ぎ去った手順の中に、打開策を模索して、
中の大石のシノギを掛けて、手抜きしかないと断じ、
及ばずながら、
座して死を待つよりも勝負手をと決断!


本来、一般にシノギ勝負の最たるものは、

稼げるだけ稼いでから、後はシノギ勝負。というより、中も渡さない。
まさに趙治勲の十八番で、誰も真似できない逸品の芸である。

 しかし

本局の白のシノギ勝負とはまったく趣が違う。

本局の白は稼ぐだけ稼いでもいない。


どちらかというと、今の崖っぷちに際して、
「全局、石の下の詰碁」のような思想を展開し、
いわゆる「火を振った」ような変則手法は
元来、アマの自由な特権としかおもっていなかったのに、
チャンピオンの覇権を確立する
本来の姿とは思えない。



プロの眼

アマの眼


この黒85・白86の二手は
何処までが必然で、どこからが必然でないか、
プロの眼ではすべて理解されていようが、
私の如きアマの眼にはいよいよのところは
見当も付かないというのが本当のところだ。

ゲスの勘ぐりで申し上げている。


持ち味の厚み
その後の展開を見ると、やはり、碁は既定のレール上を走った。

高尾本因坊の本来の持ち味・厚みを活かした攻めには白は抗するすべなく、
曲折はあったにもせよ、活きる手だても、変化する余地も無かったと言える。

碁は品格
玄玄碁経の序文「碁経十三篇」の品格第十二に
囲碁の品に九ありとして、囲碁九品が記載されている。

 日本の最高位のタイトルを争う碁が白86の、成算無しでは困る。
横綱碁「最高位・入神」の品格ある碁を展開して勝って欲しいものだ。
その意味で、もはやこの一局は白に勝って欲しくなかった。

やはり
望まなくても、そのような定めの決着であったと、思った。


後日談

週間碁の評


私は、観戦直後に以上のことを書き込んだが、
程なくして、発行された7月24付け週間碁には
「高尾初防衛」おタイトルの下、
「激戦のち晴れ」と、るる評があった。

私の感想とは、大いに趣が違っているのが、
アマの発想として、又、楽しかった。




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